「」 に対する検索結果 : 26836件

前の50件 (5301-5350/26836)    次の50件

ピラミッドトーク

日本製。ピラミッドのトップに触れると「It’s ten eight AM」など音声合成音で時刻を告げる。時刻表示デジタルパネルは底面にある。年代:1983年(昭和58年)

情報所有館 : セイコーミュージアム 銀座 


ファンタジア

日本製。掛時計。学校や幼稚園などで任意に時間を知らせることができるプログラム機能つき大型掛時計。毎正時、オープニングの曲とともに12箇所窓が開き、人形が顔を出し、左右に揺れるからくり時計。年代:1998年(平成10年)

情報所有館 : セイコーミュージアム 銀座 


悠久

日本製。置時計。900年以上も前に中国で作られた、水が動力である大型天文観測時計装置「水運儀象台」がベース。水力で動く機構を、新しい発想で鋼球に置き換えた新機構。年代:2005年(平成17年)

情報所有館 : セイコーミュージアム 銀座 


機巧図彙

日本製。江戸時代の最高の機械技術書と称されている。首巻には和時計の基本的製法が記してある。(写真は原本ですが、閲覧は復刻本となります。)年代:1796年(寛政8年)

情報所有館 : セイコーミュージアム 銀座 


改暦弁

日本製。福沢諭吉 が著した改暦の解説書。(この年、旧暦(太陰太陽暦)から新暦(太陽暦)へ切り替えられた。)年代:1873年(明治6年)

情報所有館 : セイコーミュージアム 銀座 


時計工業の発達

内田星美著。明治以来の日本時計工業の産業史的研究を目的とした書籍。年代:1985年(昭和60年)

情報所有館 : セイコーミュージアム 銀座 


錦絵(忠臣蔵八景)

江戸時代の浮世絵師、歌川豊国画。忠臣蔵八景二段目の晩鐘。時計は一挺天符櫓時計。(写真は原本ですが、閲覧はコピーとなります。)年代:江戸時代後期

情報所有館 : セイコーミュージアム 銀座 


客船模型「うらる丸」

うらる丸は大阪商船株式会社が阪神ー大連航路に投入した高速貨客船として、1929年(昭和4年)3月30日、三菱長崎造船所で竣工した。 総トン数 6375トン年代:1929年建造

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


貨客船模型:筥崎丸

1922年6月1日、三菱長崎造船所で竣工し日本郵船会社のヨーロッパ航路に就航下。1940年に海軍に徴用されて、45年3月19日、下関六連から上海へ航行中、上海の北北東120nmでアメリカ潜水艦(SS285)バラオの魚雷を受けて沈没。年代:1922年建造

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


和船「八幡丸」

江戸末期から明治初年にかけての大和型船の面影を伝える。全長2.7mの大型模型。明治維新前後の製作と思われろ。 その後よく補修されて保存良好である。帆装等は後に取り換えられたようで、船体はもちろん、両側の舵腹をはじめ船内の艤装もよく残っており、当時の和船の詳細を知ることができる。年代:江戸末期~明治初年

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


北前船模型 (天昭丸)

全長1.06米の小型のものであるが、使用材料は実際の和船と同様の材質

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


船大工道具各種

船大工の道具も通常の大工道具と大差はないが、船釘を打つ孔をあけるツバノミなど船大工だけが使用する特殊な道具がある。

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


逆針磁石

江戸時代に日本独特に発達した羅針盤である、北をさす磁石に対してを進行方向の船首を12支(実際は24方位)の角度で知ることによって、針路を定めていた。年代:江戸時代中期

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


山原(ヤンバル)船模型

沖縄本島の沿岸で貨物輸送に使用されていた。沖縄は江戸時代中国南部との交流があったため、船も中国船に似ている。この模型は2.1mあり、山原船末期にあたる昭和初期の型式を示している。年代:昭和初期

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


機帆船模型(二神丸)

大正末年帆船に小型焼玉エンジンを積んで、港の出入りや無風時に利用する機帆船が現れた。この模型は二次大戦前の機帆船最盛期の姿を示している。年代:1930~40年代

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


和漢航海教本

博物館蔵書の中で和漢の航海や航路に関する指針の3点です。航海金針は1853年(咸豊3年)に中国で出版されました。他2点は江戸時代日本で出版されたものです。年代:1853年(咸豊3年)

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


航路図

江戸大阪間の海路を画いた大図。特に紀州沿岸は拡大して画かれ、暗礁の所在、港の出入にあたっての注意事項などを極めて詳細に記入してある。幕末異国船が日本近海に出没し始めた頃、いつ出動を命じられても困らないように、紀州藩のお舟手が江戸までの沿岸を調査して作ったものではあるまいか。

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


作り出し奉納額

薄い板を張り付けて船の形を表現した珍しい額で、絵馬に較べると奉納された地域が限定されている。極少数ではあるが船体の半分を作って板に取り付けたものもある。鍋屋正兵衛の銘あり。年代:文政7年(1824)

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


板図

和船の各部寸法比率はほぼ一定していたため、船大工は板に側面図を画くだけで詳細な図面は作らなかった、使用済みの板図は削って次の船に利用したため、古い板図は余り残っていない。

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


蒸気外輪船

明治時代に浮世絵や絵図の中に描かれた東京の蒸気外輪船「海運丸」年代:明治時代

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


引札「琵琶湖汽船一番丸」

琵琶湖を走る外輪船「一番丸」を運航している会社が宣伝広告としての引き札(広告ビラ)。年代:明治時代

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


引札

廻船問屋が顧客に配った引札で和紙に木版で印刷してある。店が独自に製作したものもあるが、絵だけを刷った紙に店の名前を追加する場合が多く、これもその一例。年代:江戸末期~明治初期

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


船箪笥

和船船頭が重要書類などを入れていた。現在の手提げ金庫にあたる。高価なものは前面の飾り金具が美しい。蓋の内側に美人版画を貼ってあるのが面白い。年代:江戸末期

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


和船絵馬

船主が建造時や購入時に航海の安全を祈ってあるいは無事帰着を感謝して奉納した舟絵馬は、現在でも多数残っている。この絵馬は同じ船主の船二隻を一枚に描いた例。年代:江戸末期

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


和船模型「正直丸」

通常和船模型は神社等に奉納されたものが多く残っているが、山陰地方にはこの模型のように個人所有の小型模型が多い。但馬地方の船主は正月に床の間に持船を飾って航海の祈る習慣があり、そのための小型模型を正月船と呼ぶこともある。 これらの模型は写実的である必要はなく、見た目に美しく豪華に飾り立てればよいのである。この模型船体寸法は全長123cmに対して幅54cmと実際の船ではありえないような比率になっている。年代:江戸末期~明治初期

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


水雷駆逐艦模型「曙」

明治32年英国ヤロー造船所で建造された。排水量345トン、長さ67.6m、2軸6000馬力、速力31ノットの新鋭艦であった。旧日本海軍が駆逐艦を初めて建造したのは、明治30年(1897)英国ソーニクロフト造船所、ヤロー造船所に各2隻発注したのが最初であり、この曙は、明治30年ヤロー造船所に発注された2隻のうちの1隻である。本模型は来歴などがないため、ヤロー造船所製か日本製かは確認できないが、初期の駆逐艦の装備を示す珍しい模型である。年代:明治30年

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


鯨船模型「明神丸」

江戸時代後期には日本沿岸各地で盛んに捕鯨が行われた。紀州太地、土佐室津、長州青海島、五島などであった。当時の捕鯨は網取り法と呼び、鯨を網に追い込んで銛を打ち込み、勢いの弱ったところで鯨に泳ぎついて止めを刺した。この鯨を追い込む船を鯨船と称し、美しく彩色してこれに銛打ちの羽刺しが乗り、八丁櫓の快速で鯨を追った。 この鯨船は和船中では最も幅が狭く、舳も細くとがって速力も速かったから、捕鯨以外にも参勤交代の御座船に随行して伝令をつとめていた。 この模型は、長州捕鯨末期をしのばせるものである。年代:江戸末期~明治初期

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


絵馬「住吉丸」

大正8年9月奉納。西洋型帆船絵馬で愛媛県中島桑名神社にあったものである。「大正八年九月拾七日、進水式、五人乗り、船主川口佐兵衛」とある。右下に「大阪黒金町絵馬藤筆」の署名があり、絵馬藤の手書きのものである。 保存も良く貴重品である。『日本の船絵馬』(柏書房)に2点(66頁、103頁)類似の絵馬が載るが図柄は異なる。年代:大正8年

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


逆針磁石

広島県 高橋幸雄氏贈 、椋本氏使用 明治頃より昭和10年前後まで使用 若松より大阪まで石炭輸送の帆船にて愛用していたと言われる。年代:明治~昭和

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


朝顔丸船首像

右手を胸に当ててこころもち顔をあげ、右上方を仰ぎ見て祈りを捧げるポーズをとった豊満な婦人像である。 三菱会社が 朝顔として明治22年英国サンダーランドのJames Laing &Sons造船所で建造され、日本回航後、船体と同色に黒く塗り潰されたらしい。回航後日本郵船に買い取られて朝顔丸となり 日露戦争の旅順港閉塞で自沈した朝顔丸の船首像が残ったのは、出撃前の広島港で取り外されたからであろう。、明治37(1904)年5月日露戦争の旅順港閉塞のため黄金山砲台下で自沈した。年代:明治22年

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


八分儀

航海計測計器、天文航法の船位測定のために使われた八分儀。年代:明治後期

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


木造貨物船構造模型

東京大学造船学科の教材資料として作られた。昭和33年頃神戸商船大学に船体構造も軽視料として移管された。年代:昭和初期

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


錦絵「丹鶴丸」

江戸末期に鎖国が解けると、各藩は西洋帆船の建造を始めた。紀州新宮藩主の水野忠興オランダ造船書を訳させて、それに基ずいて三本マストバーク型帆船2隻を新宮で建造した。永らく熊野川口につながれていた。年代:1857年

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


浦賀沖合江渡来亜米利加船併人物之図外器財之図

弘化2年(1845)浦賀に来航したアメリカ船と弘化3年鎌倉に来航したデンマーク船に乗船して人物、鉄砲、炊事器具、食料用の豚にいたるまで正確に描かれている。年代:1846年

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


メンデズピントの航海記

メンデス・ピントは1509年生まれのポルトガル人で有名な旅行家である。1537年頃インドに渡りその後東洋諸国を回り、1558年帰国して旅行記を書き、スペイン王に献じた。1653年に英語で出版された、ポルトガル植民地事情の記録として重視されている。年代:1653年出版

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


セーリスの航海記

John Sairisは1579年に英国に生まれ、東インド会社の艦隊司令になった。1613年に平戸に入港して、幕府との間で通商条約を結び、平戸に英国商館を開設した。本航海記は英国ドーンズ港から喜望峰、日本陸路江戸へ登り、帰国途中のインドネシアまでの見聞記である。年代:1611年

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


神戸大学海事科学部 電子航海図資料

特徴的な所蔵航海図と屏風二双を電子データ化して、航海できる状態にしたものである。それらは南海海路図屏風下巻、浪花から長崎までの屏風六曲二双、江戸より長崎道中図巻、仙台伊達藩の開成丸航海図(掛軸)である。年代:2005年

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


神戸大学海事科学部 バーチャルミュージアム

所蔵の資料を電子化して、バーチャルとしての資料検索ができるもので、1826年製作の大型航海海路図2件の電子情報と所蔵和船(天照丸)と原油タンカー(Stanvac London)の電子船舶模型である。海事博物館ホームページにアクセスするとこれらの電子資料を検索できるものである。年代:2006年

情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 


歴史館看板

日本ペイント「中興の祖」と称される小畑源之助社長と親交のあった、臨済宗妙心寺派本山の第628世「泥龍窟」:伊澤寛州老師が、昭和15年(1940年)に第2代歴史館の完成を祝して特に揮毫されたものです年代:1940

情報所有館 : 日本ペイント 歴史館 


槌印商標

明治14年(1881年)当社の前身「光明社」は、艦船用塗料の専用工場として創業しました。明治31年、日本ペイント製造株式会社に改組の際、創業に多大のご尽力いただいた海軍の塗工長:中川平吉氏のご恩に報いるため、中川の「中」を小槌に図案化し、「光明社」の「光」と海軍のシンボルマーク「桜」をあしらい、社員の怠惰の心を打ち砕く意味を持った商標を制定しました年代:1898

情報所有館 : 日本ペイント 歴史館 


日の丸印商標

大正14年(1925年)、時の皇太子が大阪に行幸された際に侍従を当社の大阪工場に差遣されました。民間企業を視察いただくことは大変な光栄で、これを記念して日の御子(天皇)・日本国の日・日本ペイントの日をデザインし、世界へ飛躍の夢を託して制定しました年代:1925

情報所有館 : 日本ペイント 歴史館 


茂木重次郎翁の胸像

日本ペイントの前身「光明社」の創業者:茂木重次郎の胸像。明治12年(1879年)、無毒おしろいの原料:「亜鉛華」精製法を開発して以来、塗料の国産化に取り組み、各種塗料やその製法の研究に尽くしました。輸入品を圧倒、輸出振興に尽くした功労により、明治44年1月に緑綬褒章を受章され、これを祝して社員より贈られました年代:1911

情報所有館 : 日本ペイント 歴史館 


小畑源之助翁の坐像

大正元年(1912年)、37歳の時に営業部長として入社。実業界での経験を活かして頭角を現わし、大正7年には取締役支配人に就任しました。大正9年世界恐慌の余波で窮地に陥った経営を一切任せられて、大改革を実行して建て直されたことから、「日本ペイント中興の祖」と称されました。昭和4年(1929年)緑綬褒章受章に際し、役員一同から贈られました年代:1929

情報所有館 : 日本ペイント 歴史館 


小畑千秋翁の立像

中興の祖:小畑源之助翁の次男として生まれ、昭和12年(1937年)当社に入社。昭和19年取締役就任以来経営の刷新に取り組みました。特に世界大戦で奪われた厳父の海外事業への夢を実現すべく積極的に取り組み、グローバル企業への礎を築きました、昭和56年勲3等瑞宝章受章に際し、社員一同からお祝いに贈られた立像です年代:1981

情報所有館 : 日本ペイント 歴史館 


塗り見本の衝立

当社創業に多大のご尽力があった海軍主船局の中川平吉塗工長が、明治14年(1881年)当社の前身「光明社」創業の年に自ら塗装された塗板見本で、事務所入口に衝立として使われていました。裏面には、艦船営需用塗具一覧として、大理石調・蝋石調・木目調など、30種の変わり塗り見本が貼られています年代:1881

情報所有館 : 日本ペイント 歴史館 


28ポンド鉄丸缶各種

明治から大正時代にかけて、舶来塗料は主に28ポンド(12.5kg)丸缶で流通していました。国産塗料の鼻祖である当社は、市場で馴染まれている缶のサイズにするため空缶を再利用し、シェアが上がってくると同じ容量のブリキ缶を社内でつくりました。缶の内作は昭和のはじめまで続きました年代:1881

情報所有館 : 日本ペイント 歴史館 


光明社看板

明治15年、55歳の時に清国に渡り、てん書・隷書・楷書・行書・草書の各書体を極めたわが国の最初の人で、「書聖」と称されている中林悟竹先生《文正10年(1827)~大正2年(1913)》が、明治18年(1885年)当社役員宅での酒宴で、談論風発、興ずるにおよんで筆を振るわれたもの。木製看板に揮毫されたのは非常に珍しいものです年代:1885

情報所有館 : 日本ペイント 歴史館 


応接テーブル

光明社時代に外国船の船長から、塗料納入のお礼に贈られ、貴賓室の応接テーブルとして使われてきました。特に下回りの彫刻が凝っており、船首像や船尾像を思わせる深い彫りになっています年代:1897

情報所有館 : 日本ペイント 歴史館 


特約店会から贈られた本箱

大正9年、大戦後の恐慌のあおりを受けて多くの塗料販売店が窮地の陥りましたが、共存共栄を理念とした小畑源之助社長は、製販一体化の模範的な販売網を整備しました。この本箱は小畑社長が昭和4年緑綬褒章受章の際に、西日本の特約店会「大黒会」からお祝いの品として贈られたもので、長らく貴賓室に置かれていました年代:1929

情報所有館 : 日本ペイント 歴史館 


阿部式大電気時計

大阪工場の守衛室に大正初期(1912年頃)に設置され、昭和44年(1969年)の保安室移転に伴い、現役を退いたものです。長期間、親時計として構内全域の子時計を制御した標準時計です年代:1912

情報所有館 : 日本ペイント 歴史館 


前の50件 (5301-5350/26836)    次の50件