「国立科学博物館」 に対する検索結果 : 15472

情報所有館 : 国立科学博物館 

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鉄鋼巨人伝 田宮嘉右衛門(鉄鋼新聞社)

本書は、1967年(昭和42)以来、約半年にわたり鉄鋼新聞紙上に「鉄鋼巨人伝」として連載された、田宮嘉右衛門翁(初代神戸製鋼支配人)の伝記を基に、補筆・改訂して一代記を記録した、750ページにおよぶ膨大な史書である。


鉄鋼巨人伝 浅田長平(鉄鋼新聞社)

本書は、故浅田長平氏(第6代神戸製鋼社長)のわが国鉄鋼業に残した功績とその人となりを広く紹介し、後世に伝えることを目的に、鉄鋼新聞紙上に連載された「鉄鋼巨人伝」の「浅田長平」編を基にして、さらに調査研究を加え、編纂したものである。


神戸製鉄所建設記録

銑鋼一貫体制の確立を目標に、神戸市東部に、高炉、原料処理設備、発電設備等を設置する灘浜第1期工事を進め、昭和32年に着工。昭和34年に第1高炉の火入れ式を挙行、好調な高炉操業が行われた。昭和35年、第2期工事が開始、文字通り製銑から、製鋼、分塊、圧延設備までの銑鋼一貫工場を建設し、昭和36年に第2高炉の火入れを行った。灘浜第3期工事により、昭和41年に第3高炉の建設が完了し、新鋭灘浜製鉄所の完成に至った建設記録がある。


加古川製鉄所建設記録

昭和43年4月、最新鋭一貫製鉄所を加古川に設置するための建設本部が発足。第1期工事が推進され、昭和45年8月に第1高炉の火入れとなった。第1期工事の主力設備は薄板設備であり、従来の線材・棒鋼中心から厚板・薄板へとメニューがそろった。第2期工事では第2高炉の着工、スラブ連続鋳造設備の建設などを進め、両肺体制を整え、粗鋼600万トン体制となり、最終的には高炉3基で、800~900万トン/年体制に至った建設記録が刻まれている。


神戸製鉄所震災復旧の記録

1995年(平成7)1月17日、阪神地方を襲った「阪神淡路大震災」は、神戸製鋼所にとって1000億円余という甚大な被害をもたらした。なかでも神戸製鉄所の被害が最も大きく、岸壁、ユーティリティー、高炉など主要設備全てが壊滅状態になった。震災直後から復旧にいたるまでの各設備の復旧活動記録を取りまとめている。


カタール製鉄所建設記録

1974年(昭和49)、カタール政府、神戸製鋼、東京貿易の合弁会社、カタール・スチール・カンパニーが設立され、カタール製鉄所の建設、ミドレックス直接還元(DR)プロセスの導入を図った。建設工事は予定通り完了し、昭和53年の開所式後は順調に生産を続けることができ、世界にその名を高めることができた。


チッタゴン製鉄所建設記録

1963年(昭和38)、当時の東パキスタンから神戸製鋼所にチッタゴン製鉄所建設の受注があり、粗鋼年産15万トン、平炉製鋼で11万トンの棒鋼、型鋼、薄板工場を建設した。受注金額は162億円。ついで粗鋼年産10万トンの厚板工場の拡張工事(受注金額55億円)を行い、いずれも優れた運転実績を示した。このことは欧米企業依存一辺倒であった開発途上国の重工業化に、日本の技術が評価されたことを証明した。


「住友金属工業六十年小史」

明治30年4月に開設された「住友伸銅場」が、幣社の事業の源であり、昭和32年に創業60周年を記念して編んだ社史。


「人と技術と住友金属の100年」

明治30年4月に開設された「住友伸銅場」が、幣社の事業の源であり、平成9年に創業100周年を記念し、100年の軌跡を写真中心に綴った記念誌。


「白い鋼」及び「白い鋼II」

日本ステンレス株式会社は、昭和9年に設立され、昭和10年から直江津にてステンレスの製造を開始した。50年史「白い鋼」と、その10年後の追加「白い鋼II」にて、草創期~戦時発展期~戦後苦難期~中興期~新生期~専業トップの座に至る歴史がまとめられており、その後住友金属工業株式会社と合併に至った経緯まで述べられている。


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