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情報所有館 : 海洋文化館 

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ラカトイ

パプアニューギニア ポートモレスビー地区の大型交易カヌーで、1975年の沖縄国際海洋博覧会当時の資料です。モトゥ族の女性たちがつくる大量の土器を積んで運ぶための交易用の船で、季節風を利用し9月~10月に西に航海し、11月~12月にはココヤシ、サゴヤシ、タロイモ、ビンロウジ、バナナなどを船に満載して帰郷しました。3~4艘の大型カヌーを結束して組み立て、積載量に優れ、カニ爪型の帆が特徴です。実際には舟の全長と同じくらいの高さをもつ巨大な帆ですが、展示用に縮小してあります。ラカトイによる交易は、20世紀半ばには衰退しましたが、このカヌーは島の人々が海洋文化館に出品するため建造したものです。


クラカヌー

パプアニューギニア・トロブリアンド諸島キリウィナ島のカヌーで、島民の好意により贈られた1975年の沖縄国際海洋博覧会当時の資料です。「クラ」とは、トロブリアンド諸島の人々が島の間で行う、貝製の首飾りや腕輪を交換する儀礼のことで、このカヌーはその航海用のもので、近くのクラパートナーの島々との間を行き来しました。実際のクラ交易に使われ、帆まで残る完全なもので、今では現地でも見られなくなった貴重な資料です。精緻な彫刻と彩色、美しいタカラガイの飾りが施され、装飾のためであると同時に、船を守る呪術的なものでもあります。こうしたカヌーは、現在、本来の目的ではほとんど使用されなくなりました。


タタナー

タタナーは「ターチ(二つ)」「タナ(棚=舷側材)」という意味です。琉球王国時代や明治時代の記録に「二棚船」や「四棚船」という舟が現れますが、そのうちの「二棚船」にあたります。20世紀のはじめに「伝馬船」という別の舟と混同されるようになり、忘れられていきました。板材を鉄釘でつないだ平底の舟で、前後の区別がつけにくく、安定性や操作性がよいのが特徴です。その性能を生かし、おもに移動・運搬に使われました。


マチキフニ

マチキフニは松木舟の意味で、リュウキュウマツで作った丸木舟です。2012(平成24)年に約3か月かけて、西表島の祖納集落で樹齢約70年のリュウキュウマツを使用し造られました。祖納集落では、丸木舟のことを材料の名を取って呼び、他にアカンギフニ(赤木舟)などがあり、戦後までは耕作地への往復や漁労などに使用しました。その集落に専門の船大工はおらず、住民がユイ(結)と呼ばれる共働関係を結び、協力して造りました。


本ハギ

明治時代以降、糸満で杉材を接ぎ合せたハギンニ(接ぎ船)をつくるようになり、ほかのサバニから区別するため「本ハギ」と呼ばれました。部材を接ぎ合せるのに鉄クギを使わず、フンドゥー、フンルーと呼ばれる木製の接合材やルークギと呼ばれる竹釘を使用しています。このサバニは2012に約3か月かけ、大城清が中心となって糸満市で建造したものです。1950年代を境にエンジン付きの漁船が普及し、ずいぶん少なくなりましたが、その後も各地のハーリー競漕で本ハギが求められたこともあり、その建造技術は、糸満市以外にも沖縄島南部の奥武島や石垣島の白保、伊江島など県内各地で受け継がれ、新たな製作者も現れています。


南洋ハギ

南洋ハギと呼ばれる型のサバニです。2012(平成24)年に約2か月かけ、大城昇が中心となって糸満市で建造しました。戦前のサイパン島に移住した船大工、上原新太郎が考案したと言われます。現地で入手可能な板を曲げて鉄釘で接合し、補強材をつけ加えたものです。本ハギの代用品の簡素な舟と思われがちですが、薄い板材を曲げたり接ぎ合せたりする作業には熟練の技が必要です。補強材はサバニでは「南洋ハギ」ではじめて採用されました。のちのサバニの動力化や大型化を可能にした、画期的な技術革新でした。現在は需要もなく、建造技術の継承に課題が残ります。


タンクブニ

戦争中にアメリカ軍が沖縄に持ち込んだ多くの物資は、戦後、払い下げられ、さまざまな用途に転用されました。アメリカ軍用機の補助燃料タンクもそのひとつで、分割して舟として使いました。ジェラルミン製(鉄製)の燃料補助タンクを半分に分割して、木製の船べりを継ぎ足して作られています。


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