「明治大学博物館」 に対する検索結果 : 80

情報所有館 : 明治大学博物館 

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藺草製マンボ型手提げバッグ 

畳表の生産縮小にともない花筵生産へ転換がなされた時期の収集。物産カタログでは室内装飾品や身辺雑貨がアピールされているが、岡山県の藺草作付は1960年代後半から減少の一途をたどる。編目の美しさと藺草の素材感による造形は再評価がなされてしかるべきだろう。岡田新太郎本店(岡山県岡山市) 1960年収集


藺草製丸型手提バッグ

畳表の生産縮小にともない花筵生産へ転換がなされた時期の収集。物産カタログでは室内装飾品や身辺雑貨がアピールされているが、岡山県の藺草作付は1960年代後半から減少の一途をたどる。編目の美しさと藺草の素材感による造形は再評価がなされてしかるべきだろう。倉敷市(製造者不明) 1960年収集


七島藺製手提かご

畳表の生産縮小にともない花筵生産へ転換がなされた時期の収集。物産カタログでは室内装飾品や身辺雑貨がアピールされているが、岡山県の藺草作付は1960年代後半から減少の一途をたどる。編目の美しさと藺草の素材感による造形は再評価がなされてしかるべきだろう。建部商店(岡山県倉敷市) 1960年収集


藺草製テーブルセンター

合成樹脂で藺草の編組をはさんで成形している。地元の物産をアピールする商品だが、輸出品の流入や作付する耕地の減少から、すでに岡山県の藺業は衰退の見通しだった。友末化学(岡山県津山市) 1960年収集


陶製湯呑茶碗

愛知県陶磁器試験場(愛知県常滑市)による陶器の試作品。陶器は磁器と比較して硬度や耐水性に難があったが、品質改良により今日では実用素材として充分な水準に達している。本製品は伝統技法に基くものとしても、復興品ではなく、戦後における改良・開発による商品という位置付けができる。1952~1954年頃の収集。


陶製水盤

愛知県陶磁器試験場(愛知県常滑市)による陶器の試作品。陶器は磁器と比較すると硬度や耐水性に難があったが、品質改良により今日では実用素材として充分な水準に達している。本製品は伝統技法に基く商品としても、復興品としてではなく、戦後における改良・開発による新素材という位置付けができる。1952~1954年頃の収集。


陶製水出し「ふくろう」

愛知県陶磁器試験場(愛知県常滑市)による陶器の試作品。陶器は磁器と比較すると硬度や耐水性に難があったが、品質改良により今日では実用素材として充分な水準に達している。本製品は伝統技法に基く商品としても、復興品としてではなく、戦後における改良・開発による新素材という位置付けができる。1952~1954年頃の収集。


美術有田焼 染錦花瓶

深川製磁株式会社は、明治27年(1894)、香蘭社初代社長八代深川栄左衛門の次男深川忠治が美術陶器製造の会社として設立。当初から高級貿易陶磁を志向し、深川忠治自身がデザイナーとして意匠を考案した。日本的な様式美とヨーロッパに流行したアールヌーボー、アールデコ様式を融合させ独特のスタイルを確立した。明治33年(1900)にパリ万博で一等金牌を受賞するなどの評価を得、宮内省・海軍省の御用達としてブランド・イメージを確立した。深川製磁株式会社 1952~1954年頃の収集。


美術有田焼 フタ付飯茶碗

深川製磁株式会社は、明治27年(1894)、香蘭社初代社長八代深川栄左衛門の次男深川忠治が美術陶器製造の会社として設立。当初から高級貿易陶磁を志向し、深川忠治自身がデザイナーとして意匠を考案した。日本的な様式美とヨーロッパに流行したアールヌーボー、アールデコ様式を融合させ独特のスタイルを確立した。明治33年(1900)にパリ万博で一等金牌を受賞するなどの評価を得、宮内省・海軍省の御用達としてブランド・イメージを確立した。深川製磁株式会社 1952~1954年頃の収集。


布志名焼 黄鉛釉八寸鉢

明治維新期以来、ヨーロッパから近代工法が導入され、量産体制が整備される一方で、家族経営による家内制工業という経営形態も多く残存し、陶器の産地においては在来の手工芸品も作り続けられていた。そうした中、柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司らが起こした民芸運動は地方の手仕事による陶業の積極的な再評価をおこなった。その影響を受け山陰地方では各地に個性的な手工芸の窯元がいくつも生産を継続している。1959年収集


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