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情報所有館 : 明治大学博物館 

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クリスタルガラス 花器

高度成長初期における各務クリスタル(現カガミクリスタル)社製の製品。家庭経済の上昇にともない、各家庭に高級食器・調度類が受入れられ始めた時期のものである。同社はドイツで製造技術を学んだ各務鑛三によって昭和9年(1934年)に設立され、日本初のクリスタルガラスを製造した我が国を代表するガラス食器製造メーカーである。各務クリスタル(現カガミクリスタル) 1962年収集


琉球ガラス水瓶

琉球ガラスは泡盛を飲む酒器としての知名度を得て、現在では沖縄県の工芸として定着した。これは、まだ駐留米軍が排出する廃ビンを再利用していた時期の製品。1966年収集


加茂縞 着尺地

新潟県加茂市域では、江戸後期には農間に自家用の縞木綿が織られていた。明治に入り企業化し、産業として成長する。大正期には動力織機も導入され、同12年には177万反を織り出した(『加茂市史』)。本品は合成染料ナフトール染による和服が日常衣料として健在だった頃のもの。新潟県加茂市(製造者不明) 1954年収集


博多織 名古屋帯

高度経済成長下においても女性の衣料として和服は地位を保っていた。普段着・仕事着としての木綿絣が廃れた後も、絹織物は晴れ着や訪問着としての需要を保つことになる。1959年収集


伊予絣 着尺地

久留米絣、備後絣とならび西日本の三大木綿絣の産地と言われた伊予絣の製品。高度経済成長下においても中高年女性の日常衣料として和服は地位を保っていたが、普段着・仕事着としての木綿絣の需要は確実に減少していった。この後、愛媛県地方においては、タオル産業が発展することになる。1961年収集


長崎錦 しおり

江戸時代の鹿島綴を受け継いだ佐賀錦から第2二次大戦後に技術を導入して長崎手芸協会の会員が製織した。ハンドバッグ、ネクタイ、帯〆等の小物類が製造されていた。長崎手芸協会 1961年収集 他に帯〆を3点収蔵


埋木細工 鷹

土中にあって腐朽せず地熱によって炭化した樹木(埋木)を素材とする宮城県仙台市の特産品。江戸期に下級藩士の内職として始まり、明治期以降、亜炭採掘の副産物として産出されることから細工物の製作が盛んになった。エネルギー需要が石炭から石油・電気に切り替わる1960年代を境に衰退した。安斉埋木店 1957年収集 他に1958年収集(製造者不明)の端書入れを収蔵


桐火鉢

蒔絵をあしらった火鉢は明治中期から昭和初期にかけて全国に向けて販売されたが、ガス・電気の普及によって需要を失い、その後は花器・菓子器など小物生産へ転換した。 桐漆工芸上坂(石川県金沢市) 1983年収集


川連漆器 汁椀

増え続ける需要に応えるため、会津や山中などの主要産地では量産に適した合成漆器の製造が模索されたが、その普及が進む1960年代にかけては、まだまだ在来の手工芸製品も実用の普及品であった。品質を向上させつつ、家庭経済の上昇にともない少々の見栄えと贅沢を意識した高級品に昇華していった。川連漆器(秋田県湯沢市)特有の明るい朱塗の製品。1956年収集


津軽塗 唐塗り菓子鉢

増え続ける需要に応えるため、会津や山中などの主要産地では量産に適した合成漆器の製造が模索されたが、その普及が進む1960年代にかけては、まだまだ在来の手工芸製品も実用の普及品であった。品質を向上させつつ、家庭経済の上昇にともない少々の見栄えと贅沢を意識した高級品に昇華していった。「唐塗り」は特殊なヘラを用いて複数の色漆を重ね塗りし、研ぎ出すと虫食い状にさまざまな色が散りばめられたような図柄となる技法。津軽塗の代表的なデザインである。1958年収集


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