「福島県立博物館」 に対する検索結果 : 114

情報所有館 : 福島県立博物館 

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繭標本入れ

明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。製作年代:不明


上蔟かご(角座)

蚕を飼うための蚕籠の一種。地方により、円形、楕円形、長方形など形は様々で、竹製だけでなく藁製のものもある。蚕棚とよばれる棚に差し入れて、その上で蚕を飼う。製作年代:不明


温度養蚕論

著者の田口留兵衛は伊達郡梁川村(現在の伊達市梁川町)に生まれた蚕種製造家。田口家は代々養蚕家として知られており、家法として温暖飼育を行っていた。留兵衛は蚕室を暖めるための炉を設けることで、飼育日数を28日に短縮することに成功。これを温暖育と名づけ、その普及を図った。後に同じ梁川の中村善衛門が蚕当計を考案し、容易に適温を得ることができるようになったことで、温暖育を確実に実践できるようになった。これが当地の養蚕発展に大きく寄与したことから、留兵衛は温度養法元祖と称された。製作年代:明治5年


福島県の蚕糸業

『福島県之蚕糸業』(福島県蚕業取締所、大正元年九月)、 『福島県之蚕糸業』(福島県蚕業取締所、大正二年九月)、『蚕糸業法規』を合本したもの。製作年代:大正~明治時代


奥州流養蚕早見双六

養蚕における一連の過程をすごろくにして表したもの。作者の中井閑民は伊達郡梁川村(現在の伊達市梁川町)の人物で、梁川養蚕の祖とも呼ばれ、『養蚕精義』のような技術書も著した。字の読めない農民にも判りやすいよう、挿絵の多いすごろくを考案したといわれる。製作年代:不明


蛾輪

雌蛾に卵を産み付けさせる紙を種紙という、この時、複数の蛾の混入を防ぐために産卵範囲を制限する目的で使用する道具。 普通1枚の種紙には28の枠が用意されており、1つ1つの枠に合うように蛾輪を置く。 そこに交尾した雌の蛾を入れて産卵させた。 製作年代:不明


繭標本50

明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。製作年代:不明


蚕当計

蚕を飼育する蚕室の温度管理に使われた道具。現在の福島県伊達市の養蚕農家、中村善右衛門が体温計に着想を得て嘉永2年(1894)に考案したとされる。従来は農家の勘に頼ってきた温度管理を改め、科学的な養蚕を可能にした。製作年代:不明


催青枠

催青とは、蚕の卵を人工的に孵すこと。催青枠は蚕の卵が産みつけられた種紙を並べて孵化させるための枠。製作年代:不明


元治元年蚕種相場書

元治元年(1864)の蚕種の相場表。製作年代:元治元年(1864)


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