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情報所有館 : 福島県立博物館 

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東北電力旧大川発電所水車

昭和3年(1928年)5月に運用が開始された会津若松市大戸町の東北電力旧大川発電所で用いられていたフランシス水車。最大出力4750キロワットを誇った縦軸単輪単流渦巻フランシス水車は、昭和2年(1927年)に電業社原動機製造所で製造されたものであり、大川ダム建設に伴って廃止される昭和60年(1985年)1月まで発電機を回し続けた。


庭坂第一発電所門標

明治28年(1895年)に福島電燈株式会社(現東北電力株式会社)が建設した福島県最初の水力発電所(宮城県仙台市の三居沢発電所に次いで東北で2番目)。最大出力100キロワット。年代:昭和戦後


田子倉発電所碍子

38万キロワットの田子倉発電所内にある断路機で使用されていた碍子。年代:1960年代


ビラム型普通測風器

常磐炭鉱で使用された風速計。坑内にガスがたまるのを未然に防ぐため、空気の流れと風の強さを確認するために使用された。年代:昭和初期以降


安積疏水志

安積開拓事業の業績を後世に伝えるため、明治38年(1905年)に安積疏水事務所から刊行されたもので、天・地・人の3冊からなり、政府及び地元に残された資料を用いながら編年体でまとめられている。編者の農政家織田完之は、若松県の権少属などを務めた。


大橋式織機

明治39年(1906年)、大橋哲弥により発明された羽二重用の織機。川俣町の工場で使用され、12デニールの細い生糸で織られた川俣軽目羽二重の生産が飛躍的に増大した。


繭かけ合わせ標本1

明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。資料は日502号・支125号それぞれと、それを掛け合わせたものの標本。製作年代:不明


繭かけ合わせ標本2

明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。資料は日122号・支122号それぞれと、それを掛け合わせたものの標本。製作年代:不明


繭かけ合わせ標本3

明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。資料は日124号・支122号それぞれと、それを掛け合わせたものの標本。製作年代:不明


繭かけ合わせ標本4

明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。資料は日501号・支502号それぞれと、それを掛け合わせたものの標本。製作年代:不明


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