「トヨタ産業技術記念館」 に対する検索結果 : 94

情報所有館 : トヨタ産業技術記念館 

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環状織機

環状織機は、豊田佐吉が自動織機と共に究極の目標に定め、「動力を空費することなく、超幅広の布を、静かに製織する」ように、1906年に発明した、理想的な機構のです。「運動の理想は往復よりも回転の円運動である」との確証に基づき、よこ糸を挿入する杼を回転の円運動で、糸の打込みを上下揺動運動で行い、円筒状に製織する、画期的な発明で世界19カ国で特許を取得しています。展示機は1924年に製造された第4次試作機で、長時間テストを行った唯一の環状織機です。


無停止杼換式豊田自動織機(G型)1号機

G型自動織機は、豊田佐吉が、環状織機とともに究極の発明目標に定め、1924年に世界で最高性能の完全なる自動織機として完成させた記念的第1号機で、日本の貴重な産業技術遺産です。このG型自動織機には、「高速運転中に少しもスピードを落とすことなく、杼を交換してよこ糸を自動的に補給する」自働杼換装置をはじめ、50余件の発明、考案にもとづく各種の自働化、保護、安全および衛生等の機構、装置を備え、世界一の性能を発揮しました。年代:1925年


腰機

最も古い方式の手織機で、たて糸や綜絖を取り付ける骨組みがなく、手と腰など体を使って布を織りました。展示機は旭川でアイヌ民族がアッシ織と呼ばれる織物を織っていた道具です。年代:江戸時代


地機

織り手が腰帯でたて糸を張る方式の織機で、骨組みを持っています。織り手の位置は地面に近く、足の先に結んだ紐を引いて一枚の綜絖を引き上げて、たて糸を開口します。展示機は新潟県で江戸時代から越後上布を織っていた貴重なものです。年代:江戸時代


豊田式糸繰返機

糸繰返機は、織機にかけるたて糸を準備するための機械で、かせ糸を1本1本糸枠に巻き取ります。従来は手回しで、1本ずつに巻いていましたが、豊田佐吉は多数の糸枠を各個自在に掛け外しできるように発明し、動力で運転するようにしました。1人で同時に10数本巻き取り、生産性を画期的に向上させ、日本の織布業の発展に貢献しました。展示機は、特許明細書と写真を基に複製したものです。年代:1894年発明


高機

絹機として中国で始まり、後に日本へ伝わりました。木綿の需要が増えた1800年ころから綿織物用に改良され、木綿の産地に普及しました。地機に比べて高い位置で操作するためこの名称があります。展示機は愛知県内で使用されていたものです。
年代:江戸時代


バッタン高機

1873年に西陣からの伝習生が持ち帰ったバッタン装置は、翌年の京都博覧会で紹介されると急速に普及して、1880年代には知多や三河をはじめ全国の綿産地で広く用いられるようになりました。理由は、在来の高機にフライシャットル機構を付加することによって、紐を引くだけで杼投げができるようになり生産性が格段に向上したことと、熟練が不要になったこと、また広幅の織物が容易に織れるようになったためです。展示機は愛知県内で使われていたものです。年代:明治初期


足踏み織機

1892年三重県の松田繁次郎が足踏織機の特許を取得し、手を使わず足で踏木を踏む操作により、開口、よこ入れ、筬打ちの三つの運動を行わせる織機です。これは動力織機に通じるもので、特筆される発明でした。また第二次世界大戦後まで、遠州地方をはじめとする機業地の中小織布工場などで、運転費用の安い織機として使われていました。展示機は、1940年代まで遠州の浜北地方で使われていたものです。


動力駆動のガラ紡機

1873年に信濃(現在の長野県)の臥雲辰致によって発明されました。綿の塊から直接糸を紡ぐ独特のしくみを持つ紡績機で、操作中に機械が“ガラガラ”と音を出すことから、ガラ紡と呼ばれました。発明当初は手回しでした。その後、下流では舟を浮かべて川の水流で水車を回す舟紡績が、上流では谷川の水流を使って水車を回すガラ紡績が始まりました。展示機は1931年に製作され、1993年まで豊田市のガラ紡績工場で使われていたものを復元、整備したものです。


紡錘

紡錘は最も古い糸紡ぎの道具で、紡錘を回転させて、繊維を引出しながら撚りをかけ、出来上がった糸を紡錘に巻き取ります。紡錘による糸紡ぎは世界のほとんどの地域で行われており、様々な形や材料の物があります。展示品はペルーで発見された木製綿用紡錘を複製したものです。年代:紀元前数世紀


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