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情報所有館 : 四国鉄道文化館
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「0系新幹線」は、昭和39年(1964年)10月1日、東京~新大阪間の新幹線開通時に登場した。最高210km/hの高速運転を行うため、本格的な流線形車体になり、1435mmの標準軌の採用に伴って車体幅は在来線に比べ約40cm広く、車体長も25mに大型化された。この「21-141」車両は、昭和51年(1976年)に製造され、山陽新幹線「こだま号」として活躍。その走行距離は約1020万kmで、地球約255周分と同じ。西条市がJR四国から借り受け、当館に展示。年代:1976年
鉄道車両の近代化や輸送量の増加に対応するため、蒸気機関車に替わる主力機関車として、昭和32年(1957年)に登場。直列8気筒ディーゼルエンジンで発電機を動かし、その電力で100kwモーター6基を回して走行する。昭和38年(1963年)までに138両が作られ、運用が停止される昭和58年(1983年)まで、北海道を除く全国各地の路線で客車や貨車をけん引して活躍し、鉄道の無煙化やスピードアップに貢献した。日本でただ1台、走行可能な状態で保存されているこの「1号機」は、昭和58年に「準鉄道記念物」に指定された大変、貴重な車両。年代:1957年
昭和12年(1937年)から同22年(1947年)までの間に、201両が量産された高性能な旅客用蒸気機関車。また、昭和50年(1975年)12月14日に国鉄最後の旅客列車をけん引した蒸気機関車(C57 135号機)としても知られている。美しくスマートなたたずまいで、ファンからは「貴婦人」の愛称で呼ばれている。「44号機」は、西条市長や国鉄総裁を歴任された十河信二氏の雅号にちなみ、「春雷号」と呼ばれ、長く西条市市民公園で保存されていたが、四国鉄道文化館南館建設を機に移設し、末永く保存されることとなった。年代:1938年
強力な駆動エンジンと冷房電源エンジンを搭載した急行用気動車として、昭和44年(1969年)に登場し、昭和47年(1972年)までに104両が製造された。大出力エンジンと冷房用の電源を持った「キハ65形気動車」の投入は、四国山地越えや法華津峠等の急勾配区間を抱える線区の急行列車の冷房化を可能とした。このことから、四国の急行列車の冷房化は、キハ65形式の新製配置の賜物ともいわれている。新型ローカル車両の導入に伴い徐々に数を減らし、平成20年(2008年)10月をもって定期運転を終了した。年代:1970年
入換用およびローカル線用に開発され、昭和41年(1966年)から同53年(1978年)までに708両が製造された。昭和41年に試験車2両が松山機関区に配置され、試験運用を開始。その後量産され、主にローカル線区における旅客列車・貨物列車のけん引のほか、車両基地や駅構内で入れ換えに使用されたが、気動車・電車化によって活躍の場が減少。現在は、臨時列車や工場列車などのけん引用として、高松運転所に2両が在籍するのみ。展示車両は、試作車2両のうちの1号機で、昭和62年(1987年)2月に廃車となるまで、四国で活躍した。年代:1966年
新幹線の標準軌(1435mm)と在来線の狭軌(1067mm)の異なる軌間(ゲージ)に車輪の左右間隔を自動的に変換して、直通運転を可能とする電車。展示車両は、平成19年(2007年)3月にJR九州小倉工場で完成。JR九州内の在来線や九州新幹線を試験走行後、予讃線多度津~多喜浜間でのカーブ区間試験走行を実施した。平成25年(2013年)9月に試験走行を終えてJR四国多度津工場で保管されていたが、当館建設を機に独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構から西条市に無償で譲渡していただいた。年代:2007年
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