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情報所有館 : 函館市青函連絡船記念館摩周丸 

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摩周丸

津軽丸型(全7隻)の第5番船として三菱重工業神戸造船所で建造された国鉄連絡船(客載車両渡船)。当時の造船技術の粋を集めた高速自動化船で1965年6月15日竣工、8327.71総トン、全長132m、搭載貨車48両(ワム換算)。同年6月30日国鉄青函航路に就航、1988年3月13日青函トンネル開業に伴う同航路廃止により終航。現在、博物館船として函館港で保存・公開。前部グリーン船室、甲板部士官居住区等は展示室に改装されたが、その他の部分はほぼ原型を残している。そのうち操舵室、無線通信室は直接、車両甲板、総括制御室、主機室はネットワークカメラを通じて見学可能。年代:1965年


函館第二岸壁と可動橋

青函航路で最初にできた岸壁と可動橋。函館第二岸壁(当初の第一岸壁)は1924年10月1日から供用開始、同可動橋は1925年5月20日の竣工で翌日から試験使用、同年8月1日から正式に車両航送を開始した。函館岸壁の完成は第二岸壁(のちの第一岸壁)、同可動橋、その他諸施設も整備された1925年10月14日。可動橋は1924年に就航した翔鳳丸型連絡船に合わせ3本の線路を備えていたが橋門構(クレーン部)のみ残り、橋桁は現存しない。戦後、補助桁、補助鉄塔が加えられる等の改良が行われている。年代:1925年


可変ピッチプロペラ

摩周丸に備えられていたスクリュープロペラ。4枚羽根で直径3.23m。2基備え、操舵室からの操作で羽根の角度を調節して、回転数は一定のままで前後進、進行方向を変えることができた。エンジン(主機)は8基あり、左右4基ずつ流体減速装置で結合されたマルチプルタイプで、各1本、計2本のプロペラ軸を駆動する。1基1600馬力で全1万2800馬力を出力するが、通常航海では6基でじゅうぶん定時運航が確保されるため、2基を停止して走りながら整備や修理を行っていた。年代:1965年


救命筏

津軽丸型連絡船の救命筏。この中にゴムボート(膨張式救命筏)を格納して両舷に計52個搭載していた。ゴムボートは25人乗りで、緊急の際は操舵室から遠隔操作でいっせい、あるいは片舷ずつ海面に落とすことができ、自動的に膨張してゴムボートになる。年代:1965年


松前丸号鐘

松前丸(初代)の号鐘。松前丸は青函航路初の自航式車両航送船、翔鳳丸型(全4隻)の第3番船で、三菱造船長崎造船所で建造され1924年11月11日に就航。1945年7月14日にアメリカ海軍機動部隊の空襲により七重浜に座礁して炎上・沈没した。青函連絡船は翌15日にも空襲を受け、あわせて10隻が沈没、2隻が中破して全滅した。年代:1924年


運航実績表

青函連絡船の1949年1月から1988年3月まで(一部欠落)の運航実績表。各船がその日、実際にどのように運航したかを天候などとともに1枚の紙に記録している。B3判程度の大きさで、鉄道と同じようなダイヤグラム形式になっている。全葉をデジタルスキャンしてデータベース化、パソコンのタッチパネルディスプレイから日付を選んで閲覧できる。年代:1949年~1988年


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