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情報所有館 : ニッスイパイオニア館
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1910年、国司浩助は当時最も進歩したトロール船建造のため渡英した。1911年、ニッスイ(田村汽船漁業部)は英国で建造し日本に回航した新式のトロール船湊丸で事業を開始した。(契約書作成年1910年)
ニッスイ(共同漁業株式会社)のグループ企業である戸畑冷蔵で食品の冷凍技術の開発を進め、1930年にイチゴの冷凍方法の特許を取得し、現在の冷凍食品の端緒となった。
1921年、民間トロール船として日本で初めて、ニッスイ(共同漁業株式会社)の宇品丸、武蔵丸に無線電信装置が装備された。主・副装置ともに1,364 キロサイクルと500 キロサイクルの2種類の電波を発信することができ、火花式でかつ空中線電力は0.3キロワットだった。その後、数年を経ずしてトロール船全船に無線電信装置を装備した。
1933年、ニッスイ(共同漁業株式会社)は戸畑に無線基地局を開設した。出漁中に絶えず連絡を取り合えるため、海陸間の気象・海象などの情報交信により海難の予防に役立つとともに、沖からは漁獲状況、基地からは各地の魚価を交信して、生産と価格との調整ができるようになった。無線の活用により漁業の合理的経営が著しく進展した。
1927年、ニッスイ(共同漁業株式会社)は民間初のディーゼルトロール船釧路丸を建造した。
1930年、ニッスイ(共同漁業株式会社)は船内急速冷凍装置を開発し、八代丸ならびに5隻のディーゼルトロール船に設置した。これにより漁獲物の鮮度保持が画期的に高まり、商品として規格化が可能となり、市場へ計画的な供給が可能となった。
1920年、ニッスイ(共同漁業株式会社)は早鞆(はやとも)水産研究会を設置し、海洋生物、漁場調査の責任者であった熊田頭四郎がトロール漁船に乗船し、現場で種々の魚類の色彩・形態の精密な描写をし、天然のままの姿を記録した。これらの魚類の原図「魚譜」は1千余点を数え、戦前には『南洋食用水産図説』『南洋有毒魚種調査報告』などが発行された。さらに戦後の1961年に『日本水産魚譜』が出版された。2011年には『日本水産魚譜 Nippon Suisan Gyofu, Scientific Illustration of Food Fish of the World』が刊行された。
早鞆水産研究会は1933年にクルマエビの養殖研究を開始し、同年7月世界初の人工産卵に成功、1939年に完全養殖に成功した。
1946年、ニッスイ戸畑工場で開発が始まったフィッシュソーセージは、1952年に本格的生産を開始した。同業他社の参入もあり、市場はまたたく間に全国に拡大した。
1960年、スケソウダラの豊富な資源量に着目し、北海道水産試験場が冷凍すり身を開発した。ニッスイはこの冷凍すり身の共同研究の成果を踏まえ、北海道水産試験場の技術者の協力を得て、1964年に洋上すり身の事業化に成功した。
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