「門司電気通信レトロ館」 に対する検索結果 : 152

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 

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11S-D3方式

1982年(昭和57年)全国で初めて厳原-隠蔵寺間に船舶電話基地局のエントランス回線として導入。11GHz帯で最大4システムを収容。PCM2次群2系列(6,312Mbit/s×2・電話192ch)の伝送が可能。製造年:1982年。製造会社等:日本電気株式会社※見学要予約。


SF-T2-3方式

1976年(昭和51年)本波-牛深間に初期導入。最大12システムの収容可能。現用1システム当たり電話1,200ch伝送可能。全固定化されたもので主に総括局-中心局-集中局伝送路に使用。九州では、1981年(昭和56年)11GHz帯アナログ方式として最後の導入となった豊後高田-中津間の開通まで6区間で使用。製造年:1975年。製造会社等:日本電気株式会社。※見学要予約。


MGSW(主群切替装置)

伝送路網の信頼性向上、安定化対策の一環として1969年(昭和44年)にMG単位(電話換算300ch)として全国導入。本方式で管内RC(総括局)、TC(集中局)の全てが、伝送路自動切替網に組み入れられ異常障害発生時でも平常サービスを維持できるような切替網として全国ループ化が図られた切替方式。製造年:1975年。製造会社等:日本電気株式会社。※見学要予約。


D1形クロック発生装置

デジタルデータサービスに対応するため、1次群まで同期化したDCS(デジタルクロック供給装置)として開発。1978年(昭和53年)に網同期方式(主局のクロックをクロック分配路を通じて各局に分配し、各局では、これに基づき所要クロックを発生し、局内各装置に供給)として全国に導入。製造年:1980年。製造会社等:日本電気株式会社。※見学要予約。


PCM24方式

1965年(昭和)40年)浜町-小岩、大阪-堺、水戸-東海の3区間に初期導入。従来のFDM方式に比べ、大幅な経済化により短距離区間の回線需要に応じるため、電話局相互の局間中継線として多様された。特徴としては、FDM方式に比べ伝送路で生じる各種妨害を受けにくく伝送帯域拡張、劣悪伝送路の変動に影響されないので、低損失回線の作成が可能となった装置。製造年:1972年。製造会社等:富士通株式会社。※見学要予約。


PCM24B方式

1973年(昭和48年)より、回路技術の進歩やデジタル回路用素子需要の増大に伴い、ICを導入した機械に長距離回線にも使用できる高品質伝送方式としてPCM24方式を大幅にモデルチェンジし、1974年(昭和49年)以降、本格的に全国導入された。特徴としては、ICの導入、低電力化などによる小型化が図られ、PCM24形端局装置に比較し、システムの実装数および雑音に関して改善。製造年:1980年。製造会社等:富士通株式会社。※見学要予約。


電柱の笠木

佐賀-長崎、久留米-長崎電信線路用電柱の笠木(かさぎ)で佐賀県藤津郡嬉野町周辺の電柱に取り付けられていたもの。※ 木の電柱を守るものです。製造年:不明。製造会社等:不明。


TZ-41形3号移動無線機

災害応急復旧用無線電話方式、1971年(昭和46年)ロスアンゼルス地震を契機に防災対策の見直しが検討され、1974年(昭和49年)から逐次各県でサービス開始。あらかじめ主要行政機関に配置し、地震・水害などの非常災害時にこれらの機関の通信途絶を防止し、救援活動・指令など非常連絡通信を確保するほか、病院や避難所などに特設公衆電話として設置する装置。製造年:1984年。製造会社等:国際電気通信株式会社


名瀬郵便局奄美群島管内電話番号簿

1951年(昭和26年)名瀬市中央郵便局発行の電話番号簿。製造年:1951年。製造会社等:名瀬中央郵便局。


小倉他六局電話番号簿

1935年(昭和10年)発行。定価26銭。小倉、八幡、若松、戸畑、飯塚、後藤寺の7月1日現在の電話番号簿(電話帳)で、電話の使い方を「通話上の心得」と表現し、電話のかけ方、交換手の呼び方なども記載。当時、門司のお客様は多く、門司だけ別に発行されていたとのこと。製造年:1935年。製造会社等:熊本通信局。


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