「瀬戸蔵ミュージアム」 に対する検索結果 : 30

情報所有館 : 瀬戸蔵ミュージアム 

前の10件 (11-20/30)    次の10件

馬の目皿

口径30.7cm。皿の内面に茶色の鉄系顔料で渦巻き文様が数個描かれているもので、この渦巻き文様が「馬の目玉」のように見えることから後にこの名前がついたといわれています。馬の目皿は一見単調に見えますが、渦巻き文様だけでも千差万別で、その数は3個から10個までと様々です。また、見込み部分に絵の描かれているものもあります。年代:19世紀中期


松竹梅文石皿

口径27cm。皿の縁が鍔のように突き出た厚手の皿で、この形状は割れにくく、持ち運びが便利という実用性を重視したものだといわれています。石皿は見込みに絵が描かれているものがあり、青色の呉須と茶色の鉄系顔料の二色が必ず使用されています。描かれている文様は、柳、菊、桜などの草木文を始めとして松竹梅、鶴亀、宝珠などの縁起のよいものや判じ絵など多岐にわたります。年代:19世紀中期


駱駝文行燈皿

口径19.7cm。行燈皿は、行燈の台に置き、その燈火から落ちる油を受けたり、油注ぎを置く台として使用される皿で、別名「油皿」とも呼ばれます。この皿には高台がなく、こぼれた油をこぼさないように皿の縁が立ちあがった形状になっているのが特徴です。行燈皿は、茶色の鉄系顔料で絵が描かれているものが多く、その絵は行燈の灯りでほのかに照らし出されることを考え、落ち着いた雰囲気のものが主流となっています。年代:19世紀中期


水禽文絵高麗

口径31.6cm。一般的にいわれる絵高麗は中国磁州窯製の白化粧の鉄絵皿などを指しますが、瀬戸では白化粧した素地に鉄系顔料と瀬戸地方独特の赤楽とよばれる顔料を用いて、安南手の獣禽文の絵皿を真似たものをいいます。高麗手ともよばれ、文政5年(1822)に下品野村の加藤定蔵がつくりだしたといわれています。年代:19世紀中期


染付山水図花瓶

重要有形民俗文化財。伝加藤民吉(初代)伊豆原麻谷 画。高46.8cm。加藤民吉は江戸時代後期の瀬戸村の窯屋。父吉左衛門とともに熱田の新田開発に従事していた際に尾張藩熱田奉行津金文左衛門の指導と援助により南京焼(磁器)の研究を行ない、享和元年(1801)9月、染付磁器の焼成に成功しました。その後、文化元年(1804)に九州へ修業に行き、肥前の技術を瀬戸に伝えて瀬戸の磁器づくりを発展させたことから民吉は瀬戸の磁祖として窯神神社に祀られています。この作品は胴部には山水図、下部には龍が描かれ、底部には尾張を示す「張」の染付銘が記されています。年代:19世紀前期


染付山水図三段重

重要有形民俗文化財。伝 加藤忠治。高さ18.3cm。加藤忠治は江戸時代後期の瀬戸の窯屋で、享和元年(1801)、瀬戸において最初に磁器生産へ転じた十六家に名を連ねました。また、染付焼茶碗を12俵(約1200個)を尾張藩の蔵元へ最初に納めています。忠司の作品は山水画に巧みで、良質の呉須を豊富に使用することから、発色が鮮やかで、瑠璃釉に近い色合いが特徴です。年代:江戸時代後期


染付花鳥図獅子鈕蓋付大飾壺

初代 川本桝吉。高さ96.0cm。川本桝吉は瀬戸で「竒陶軒」と号し、三代にわたって陶磁器生産を行った窯屋。初代は、安政4年(1857)に同村の窯屋四代川本半助の婿養子となり、五代半助を襲名しました。文久2年(1862)分家し、輸出向け製品の他、博覧会向の作品も多く製作し、国内外で高い評価を得ました。本作品は、ドイツからの里帰り品で瀬戸市指定文化財です。南画系の繊細な染付画は当時の瀬戸染付の特徴です。下部の龍は注口となっており、ドイツではワインを入れる容器として使われたと伝わります。なお、染付銘から、明治9年(1876)に開催されたフィラデルフィア万国博覧会に出品されたと考えられます。年代:明治9年(1876)頃


釉下彩花唐草文大燈籠

二代 加藤杢左衛門。高さ191.0cm。瀬戸市指定文化財。二代杢左衛門は大物づくりに秀で、飾壺や円卓、燈籠など数々の大物製品を製作し、国内外の博覧会へ多く出品しました。この燈籠はイギリスからの里帰り品で、明治11年(1878)のパリ万国博覧会に出品されたと推定されています。二代杢左衛門はこの燈籠の他、秋葉総本殿可睡斎(静岡県袋井市)や善光寺(長野県長野市)にも染付燈籠を奉納しており、明治時代前~中期にかけて大物の製作をしていたと考えられます。最下段の台部に「日本瀬戸加藤杢左製」染付銘があります。年代:明治11年(1878)頃


染付花鳥図大飾壺(一対)

二代 加藤杢左衛門。高さ172.0cm。重要有形民俗文化財。加藤杢左衛門家は江戸時代から昭和初期に三代にわたり活躍した瀬戸の窯屋で、瀬戸屈指の名家です。 二代杢左衛門は大物づくりに秀で、飾壺や円卓、燈籠など数々の大物製品を製作して国内外の博覧会へ多く出品し、賞牌を受けています。この大飾壺も博覧会に出品するために作られたと考えられ、胴部の染付は富士山を背景に草花や松、雉や鷹などが非常に細かく描き込まれています。年代:19世紀後期


染付鳳凰唐草文大鉢

二代 加藤周兵衛。「日本瀬戸白雲堂周兵エ精製」染付銘。口径37.0cm。瀬戸の南新谷地区で「白雲堂」と号して、主に染付磁器の生産を行った窯屋の二代目。初代周兵衛の長男徳七で、明治10年(1877)に二代周兵衛として事業を継承し、主に米国・英国向の食器類を生産しました。森村組(現ノリタケカンパニーリミテド)の指定工場として、輸出ディナーセットを手掛けました。特に薄い素地に細い線で着画した製品で好評を得ました。本作品は、大型の鉢で、おそらくパンチボールとしてつくられたとみられます。描かれた鳳凰唐草文様は、白雲堂の得意とする絵柄で、様々な機種に描かれています。年代:明治時代前期


前の10件 (11-20/30)    次の10件