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情報所有館 : 直方市石炭記念館
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明治43年8月に筑豊石炭鉱業組合の直方会議所として建てられたもので木造2階建て瓦葺にアーチを配した洋風建築である。側面の煙突や胴蛇腹に近代的なデザインを見ることができ当時炭鉱の経営者達が石炭生産の統制、調整等を行う会議所として極めて大きな役割をはたした。∥館内には炭鉱模型、絵画、写真、図表等の資料を展示している。年代:1910
大正14年鞍手郡宮田町(現宮若市)貝島大之浦炭鉱が資材運搬のためドイツから輸入した炭鉱専用の蒸気機関車である。その後昭和51年8月の閉山まで、52年間炭鉱と共に風雪に耐えながら走り続けたコッペル32号と石炭車のロト22号である。年代:1925
ドラムカッターとは、沢山の刃(ビット数50~60個)が付いた円筒形のドラムが高速回転し、一挙に0.5~1.0m深さの石炭層を切り崩しながら毎分2~6m移動する機械で切り崩した石炭は、スパイラルドラムにより自動的にベルトコンベヤに積み込まれ搬出される。∥ドラムカッターは、ベルトコンベヤトラフをレールとして載っており電動あるいは、油圧モーターで駆動される。ベルトコンベヤは、常にシフターにより炭壁側に押しつけられている。年代:1959
この石炭は、昭和40年10月に、日鉄鉱業嘉穂炭鉱上穂波坑(現嘉麻市)で展示用として特別に掘り出されたもの。鶴嘴を使った手掘りで数人がかりで10日間かけて掘られた。∥発熱量7300キロカロリー∥大きさ(長さ2.00メートル、幅1.10メートル、高さ0.75メートル)∥重量約2.000キログラム。年代:1965
火災・爆発・ガス等の事故発生時の処理活動をより安全に行う為、純粋な酸素入りボンベを装備した酸素呼吸器(救命器)が使用され、過去幾多の人命を救助した。明治40年7月豊国炭鉱で発生したガス炭じん爆発の際、坑内探検に初めて使用した日本最古のドレガー式酸素呼吸器(ドイツ製)である。年代:1907
この練習坑道は救護隊員の養成訓練並びに隊員の練習指導のため、明治45年に建設されて長さ11mの坑道であったが、大正14年傾斜40度と20度の斜坑(木造)と水平坑道(レンガアーチ巻及び鉄筋コンクリート巻)を設け、総延長117.6mに改築された。坑道内には、匍匐訓練用の架橋・高落箇所・煙及びガス発生炉・温度上昇用の暖房3箇所・非常口3箇所が設置されている。その後、坑道が老朽化したので昭和41年11月に傾斜40度の木造部分を廃棄し、20度の斜坑はコンクリートアーチ巻坑道に改造され、坑道延長117mになった。年代:1912
この坑道に煙及び蒸気を通し、坑道内の温度・湿度を上げて実践さながらの訓練を行った。年代:1912
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