「UECコミュニケーションミュージアム」 に対する検索結果 : 292

情報所有館 : UECコミュニケーションミュージアム 

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E4M (仏ピロン) 初期のフランス製3極送信管

1916年頃、フランスのピロン社が発表した3極送信管。TMC型を大きくしたような構造(50W型)。プレートとグリッドを管頂から引き出し、ベースは仏/英型4ピンから1本抜き取ったもの。フィラメントは純タングステン。年代:1916年頃


T-1(マルコニー) 初期の英国製送信管

1917年に発表された、プレート損失150Wの3極管。同軸円筒形の電極で、V形のフィラメントは純タングステン。ベースはなく、球形の中心部から上下に伸びたガラス管をクランプし、垂直のパネルに固定する原始型。年代:1917年


フォトス (仏)

1915年にフランスで開発されたTM型3極管を送信用にやや大型化したもの。このサンプルはフィラメントがトリエーテッド・タングステンのため、1920年代初期の製品と思われる。年代:1920年代初期


RS5 (テレフンケン)ドイツの初期型送信管

1918年に誕生した3極管。プレート電圧600~800Vで10~20Wの出力が得られたとのこと。フィラメントは8~12V/3Aの純タングステン。ベース・ピンは3本で、プレート端子は管頂。ガラス細工が見事。年代:1918年


オッシリオン(ディフォレスト)

1915年頃、ディフォレスト社が送信用として作った3極管。球形オーディオンを大きくしたような電極構造。ベースはUV型。これを用いた送信機が歌うような発振音を出したため、シンガータイプと呼ばれたとのこと。年代:1915年頃


タイプG (WE)

1920年頃、高出力の3極送信管としてWEが開発した、現在でもポピュラーな211のプロトタイプ。最初期の電話用管と同様、ガラス棒で電極を支持する構造。フィラメントは酸化皮膜型。ベースなし。年代:1920年頃


211A (WE)

タイプGの量産型(1921年)。212族と同じく、酸化皮膜型フィラメント使用(9V/3.4A)。金属シェルの大型UVベース。1924年に 211Dに置き換えられた。最初はプレート損失50Wだったが、後に100Wにまで増力され、賞用された。この211族は大変賞用され、RCA系列のメーカーでも同じ211の型番で生産された。年代:1921年


212D (WE)

1920年代の初め、大型送信管の需要が高まり、プレート損失250Wの3極管タイプIが試作された。1921年に212Aとなり、1924年に212Dに進化した。フィラメントは13V/6.3Aの酸化皮膜型。228A(出力段)とともにNHKの初代放送用送信機(変調段)に用いられた。年代:1924年


228A (WE) 初期の水冷式送信管

米WEが始めて開発した3極水冷式送信管220A(1922年)に続いて1926年に完成した。プレート損失5kW。NHKが愛宕山でラジオ放送を始めたとき、WE社に発注した6A型放送機(定格出力500W)の終段管。出力を1kWに増大する特注仕様だったため納期が遅れ、初放送に間に合わなかった。年代:1926年


S.S.I (シーメンス)

1915-17年にかけて独シーメンスのショットキー博士が申請した特許を製品化したS.S.I-S.S.IIIの内の一つ(1917年)。プロテクティヴ・ネットワーク型といわれ、プラス電位をかけるG2にも信号を入れる、いわゆるレフレックス形の一種。グリッドはタイプAのような、打ち抜いた金属板を丸めたもの。フィラメントは純タングステン。ベースは特殊5ピン型。年代:1917年


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