「住友化学愛媛工場歴史資料館(公開中)」 に対する検索結果 : 13件
情報所有館 : 住友化学愛媛工場歴史資料館(公開中)
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この建物は、明治34年旧住友銀行新居浜出張店が支店に昇格した頃に建造され、昭和33年まで旧住友銀行(現三井住友銀行)の新居浜支店として使用されていた。その後、一部改修の上当社製造部詰所として使用され、現在は当社歴史資料館として使用している。登録有形文化財、近代化産業遺産として登録・認定。年代:明治34年
銅鉱石製錬の際に発生する煙害問題は硫酸を製造することで大幅に改善されたが、硫酸製造の際の排ガスになお亜硫酸ガスを含んでいたため、当社はその完全除去法の研究を続けた。その結果、アンモニア水を用いたアンモニア洗浄法が確立され、接触硫酸工場に適用することとなった。中和除害塔は昭和10年6月に完成し、硫酸製造における亜硫酸ガスを完全に除去することができた。この技術は、昭和14年に四阪島製錬所の亜硫酸ガス除去装置に応用され、約30年にわたって悩みぬいた同島の煙害問題に終止符を打つことができた。年代:昭和初期
大正14年6月1日、住友総本店所属から株式会社住友肥料製造所として独立する際に申請を行った肥料取締法に基づく業者変更届と免許。年代:大正14年頃
出荷する為に肥料をかますに詰めている様子。年代:昭和9年
当時、肥料の出荷はほとんど船で行われていたが、出荷の際に何千、何万とあるかますや袋の数を確実に数えることは大変だった。その為、この万棒を陸側でかますに刺し、船側で回収することでかますの数を数えた。年代:昭和初期
化成肥料等のサンプル等。
昭和8年、当社は濃硫酸を直接製造できる(それまでは硫酸を濃縮していた)CCC社のセルデン式接触硫酸製造法を採用し、日産45tの新工場を建設した(完成は翌年)。この工場は、わが国で最初の大規模な接触硫酸工場であり、予想したとおりの成果をあげた。(資料は当時CCC社から入手したもの)。年代:昭和初期
硫酸用土瓶:硫酸の販売用として大正4年以降使用されていたもの。(容量は27リットルで、濃硫酸が約40kg入る。)∥籠瓶:ホルマリン、アンモニア水、硫酸等の工業用薬品向けの容器として、使用されたもの。(容量は20リットルで、手ごろな大きさとして重宝された。中の瓶はガラスで、外側を竹で編んだ籠で保護している。)。年代:大正初期
昭和33年、住友化学がわが国で初めて高圧法による低密度ポリエチレンの製造を開始した際に、最初のポリエチレンを用いて作成したレリーフ。年代:昭和33年
高圧法ポリエチレンの製造を開始した当時、技術導入の為来日していたICI社の技師が使用した自転車。新居浜市の鑑札がついている。年代:昭和30年代年代
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