「四国自動車博物館」 に対する検索結果 : 20件
情報所有館 : 四国自動車博物館
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アバルト1000SP バルケッタ チュボラーレ。スポーツプロトタイプのGr.4カーである。年代:1966
’61年のル・マンに参戦。 850ccのLMはクラス優勝を果たし、総合14位を達成した。また、この展示車は、’59年のモンツァ12時間レースにゼッケン66で出場。みごと、ポールポジションを獲得した。ル・マンに挑んだレコルト・モンツァは総生産台数5台。現存するのは推定わずか3台という超レアな車である。年代:1958
1976年 ジュネーブ・ショーでの発表後、Fiat Abarth 131 Rallyの製作はベルトーネが担当し、グループ4のホモロゲーションに必要な400台が生産される。一方、レース仕様のCorsaでは、スポイラーのFRP化などによる875kgまでの軽量化と、230HP/7500rpm×23kg-m/5600rpmまでのチューンがなされた。年代:1976
レーシングカーが市販スポーツカーとして混在していた1960年代前半、アルファロメオの直列4気筒エンジンと高剛性鋼管フレームに、カロッツェリア・ザガードの流麗なアルミボディが与えられたマシンが誕生した。それがアルファロメオ・ジウリア TZ である。年代:1962
チャーミングで朗らかなイタリア娘、アルファ・ロメオ・ジウリエッタ。そのロマンチックな名前は、シェークスピアの”ロミオとジュリエット”からのネーミング。ジウリエッタ・スパイダー・ヴェローチェは、ピニン・ファリーナのデザインによる小柄なモノコック・ボディに、 ツインカム、ツインキャブ・エンジンを搭載した魅力的なマシンであった。年代:1956
1960年代、フェラーリの全車種がV12エンジンをフロントに搭載していた頃、「小さなミッドシップ・フェラーリ」が誕生した。その洗練された優美なフォルムは、ピニンファリーナの最高傑作と謳われている。年代:1972
1971年ジュネーブショーにてランボルギーニ社(ヌオーヴァ アウトモービリ フェルッチオ ランボルギーニ SpA)のチーフエンジニア パオロ・スタンツァーニを中心とし、数々のスーパー・カーを世に送り出したカロッツェリア・ベルトーネのチーフデザイナー マルチェロ・ガンディーニのデザインによって黄色のカウンタックLP500(V型12気筒5000cc)が登場した。年代:1974
ランチアはフルビアの後、WRCで勝利するためのマシンが必要だった為ベルトーネと共同開発することになり 1972年に幾多の改良を行いプロトタイプとしてWRC(ツール・ド・コルス)に初参戦した。年代:1974
トヨタが世界に誇る本格的なグランツーリスモとして、1965年の東京モーターショーでデビューした。ロングノーズ/ショートデッキの魅力的なスタイリングもさることながら、バックボーンフレーム構造や6気筒ツインカムエンジン、4輪ディスクブレーキ、マグネシウム・ホイールなどメカニズムにおいても高く評価されている。年代:1965
日本のモータリゼーションはこの車から始まったといっても過言ではない。 当時の日本のメーカーは、米国車などのノックダウン生産から自動車技術を学ぼうとしたが、トヨタは自社独自の技術開発でこのモデルを設計した。年代:1955
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