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情報所有館 : ナイガイ靴下博物館
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明治中~後期(1880年)頃開発された靴下編機。ゴム部と本体(脚、踵、足、爪先)部を別々に編み、縫い合わせるか、編目をつなげていた当時の編機。保存機は昭和初期に製造されたもので、アーガイル(ダイヤ柄)靴下を生産した。 年代:1925
明治中~後期(1880年)頃開発されたゴム編機。ゴム部と本体(脚、踵、足、爪先)部を別々に編み、縫い合わせるか、編目をつなげていた当時の編機。保存機は昭和初期に製造されたもので、アーガイル靴下のゴム編み部を生産した。 年代:1925
昭和4年(1929年)頃の靴下編機B5式(今泉式)と云い、脚、踵、足、爪先を連続して自動的に編む画期的なもの。 年代:1929
大正9年(1920年)、(株)ナイガイが米国から輸入した口ゴム編機。筒状のゴム編地(1×1リブ)を専門に編むものでブリントンと呼ばれていた。 年代:1920
昭和9年(1934年)、(株)ナイガイが米国スタンダード社から輸入した柄(ボスネック柄)編機。ボス柄糸(地編地と色の異なる柄糸)の色数が多く、刺繍状に美しい配列と立体的に柄を表現できる編機。靴下の代表的な柄の1つである。 年代:1934
光圀公が履いたと云われている靴下の複製品。常陸太田にある水戸家墓所・瑞龍山で水戸光圀時代の長持ちが発見され、その中にあった靴下の複製品。海外からの贈り物?造り方・編み方は今でも解明不明の高い技術。 この製品に似たものが米国ワシントン州にある国立博物館に所蔵されている。
大正末期の靴下。(株)ナイガイ創設(大正9年)初期に生産されたもの。当時の靴下はゴム編み部と本体部(脚部・踵・足・爪先)を別々に編んだ後、編目をつなぎ合わせるか、ミシンで縫い合わせていた。足の甲側と足底を異なった糸や色で編むことのできるバンナー編機で生産されたもので、甲側は薄く吸湿性を、底側は厚く保湿性を求めたものである。編機は米国のヘンフィル社から輸入された。 年代:1924
昭和初期(1928年頃)睡眠時に足を暖める為に開発されたもの。暖まると簡単に脱げるように丈が短く足首までである。編地は、超高級素材のカシミヤ、更に二重編みの裏側を起毛、暖かさと肌触りを工夫した試作品。 年代:1928
昭和初期(1929年頃)子供靴下が稀で、更に編み柄されたもの。レーヨン糸と綿糸の光沢感・質感の違いを任意に配列させ柄を表現したシンカー柄が特徴。そのシンカー柄の編み方は、想像のつかない優れたもので、柄靴下の歴史上貴重な資料である。子供靴下が稀な時代、実際に生産された物か不明。 年代:1929
昭和初期(1930年頃)を代表するオシャレな紳士靴下。ゴム糸が無い時代、ガーター(ゴムテープに靴下の上部をつまむ留め具を付けたもの)で靴下を吊って、ズレ落ちを防いだ。ガーターとは、イギリスのガーター騎士団の装飾装身具の総称で、左足のひざ下に付ける留め具。 年代:1930
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