「佐賀県立九州陶磁文化館」 に対する検索結果 : 316

情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 

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色絵牡丹文壺

撫肩で、丸みの強い蓋付壺。器面を赤線で区画し、胴部におおぶりの牡丹を描いている。牡丹は正面、横向き、蕾などで表現 されている。線描きの黒線は、色絵具がのっていない部分の多くが失われているため破線となる。上絵の赤もかなり色落ちしているが、緑・黄・青色はよく残っ ている。腰から下の部分には全体的に細かい貫入が入る。補修はあるものの、蓋が残存している。輸出初期の色絵壺として貴重な資料である。 :肥前・有田 / 1655~70年代


染付柘榴花鳥文大瓶:L:G.

輸出向けの大瓶であり、ガリポットと呼ぶ薬瓶といわれてきた。口部に凸帯をもち、胴部が球形を呈するこの器形はヨーロッ パのガラス瓶にもみられる。胴部に丸窓を設け、なかに「L:G.」とアルファベットの銘を入れるが、意味は不明。この型式の瓶にはこのようにアルファベッ トを伴うものがみられる。丸窓のまわりは牡丹、柘榴に鳥を配した文様を描く。頸部には花文と草文を交互に描いている。高台内に目跡が4個残る。 :肥前・有田 / 1670~1700年代


染付草花文大皿

内面は窓絵を配置しているが、その数は9個と変則的である。窓には梅・松・牡丹・朝顔などの草花文を描き、窓と窓の間は 四方襷文・亀甲文・青海波文・七宝繋文などで地文とする。この内側に唐草文、さらに二重圏線内に水辺の草花を描いている。裏面には一本線の茎を繋いだ牡丹 唐草文を描く。高台内は圏線がめぐり、二重方形枠内に篆書による「福」字銘を書いている。また、ハリ目跡が7ヶ所に残る。 :肥前・有田 / 1650~60年代


藁灰飴釉掛分舟形手付皿

雅趣のある小代焼は、茶席で愛好された。轆轤成形後、皿の両辺を切り落とし、舟形に仕立て、紐状の粘土で手をつけた菓子 器である。高台には、1ヶ所刻みをいれて切高台とし、高台内は篦で渦状文を施す。織部風の意匠から「掛け分け」としたが、実際は鉄漿をかけ、一部に薄く土 灰釉を施し、半分に白色の美しい藁灰釉を流したものである。見込と高台畳付に赤貝のような貝目痕が残る。 :肥後・小代窯 / 17世紀


銹釉花唐草文瓢形瓶

胴部に文様を彫り込んだ瓶である。胴部全体に銹釉を施し、その上から花唐草文を線彫りにしている。さらに花の中心部分に 瑠璃釉を施し、典雅な趣が伝わる。胴部下位に2条の沈線を線彫りでめぐらせ、その下に蓮弁文を連続して線彫りで表す。高台内にも銹釉が施されているが、高 台畳付は幅狭く削り露胎としている。銹釉の製品は有田町山小屋窯跡、長吉谷窯跡、下白川窯跡などから出土している。 :肥前・有田 / 1660~1700年代


染付銹釉茄子文皿

画面いっぱいに茄子文を配す。茄子文の背景には銹釉が施されている。茄子の蔕(へた)は粗い筆触(ひっしょく)で描か れ、花菱文は形が不揃いであり、文様の描き方あるいは裏文様の粗い筆使い、その輪郭線からはみ出した濃みなど、鍋島の初期的な要素がみられる。裏文様は全 面に五つの唐花を配し、間を唐草で繋ぐ。高台には四方襷状の文様をめぐらす。器形は浅く平たい。 :肥前・鍋島藩窯 / 1660~80年代


鉄絵草文碗

胴は直線的に広がり、高台は高く、断面台形状に削り出されている。外面の二方に鉄絵で唐草文を表し、内外底を除き透明釉 を施す。見込と外底を無釉とし、直接重ねて焼く方法や、器形等は、同じ頃沖縄にたくさん輸入されていた中国の福建・広東地方で焼かれた粗製の染付碗の影響 を受けたものであろう。琉球では18世紀になると肥前磁器よりも中国磁器とともに琉球産陶器の比重が高くなり、生産も盛んとなる。 :琉球・湧田窯 / 17世紀後半~18世紀前半


染付芙蓉手花鳥文大皿

芙蓉手の皿類は有田で様々なものが作られたが、この作品は中国明末の景徳鎮窯の本歌と共通点を残し、有田の芙蓉手のなか では比較的初期の作品と考えられる。広い鍔状の縁をもち、口唇部は菱花形に刻む。見込中央に岩に花鳥を描き、周縁部は区切って窓を設け、花文と八宝文を交 互に配す。裏面も六方に区画され、簡略化した文様を描く。高台内には染付の「福」字銘が記され、ハリ目跡が2個残る。見込には焼成時の降灰が多い。 :肥前・有田 / 1655~70年代


染付唐獅子牡丹文菱形皿

岩牡丹と2匹の獅子が描かれている。形は土型を用いた糸切り細工(タタラ成形)による。高台は、菱形の付け高台である。 染付の文様は、輪郭線が丁寧に描かれ、また濃みの調子も巧みである。口部は直立し、幅広の口縁部に銹釉が塗られている。口部外側に花繋文、高台外側に雷文 が描かれている。高台内には、「福」字の染付銘と2個の染付銘と2個のハリ支え跡がある。 :肥前・有田 南川原山 / 1660~70年代


色絵巴紋碗

1682年に統合されたという壺屋窯(那覇市)では、18世紀になると磁器風の陶器を作るために有色素地の上に白い化粧 土を施す。この碗はその上に透明釉をかけて白色陶器を作り、それに赤・緑絵具で三方に巴文を描く。碗形、文様、色の使い方などすべてに中国・福建地方の磁 器の影響が強くみられる。見込は蛇ノ目状に釉剥ぎし、高台にアルミナ砂を塗って直接重ね積み焼成している。 :琉球・壺屋窯 / 19世紀前半


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