「佐賀県立九州陶磁文化館」 に対する検索結果 : 316

情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 

前の10件 (41-50/316)    次の10件

染付銀杏唐花文皿

幾何学的な唐花や有職文による複雑で厳格な文様は、格調高い鍋島ならではのものである。規矩正しく三方割に文様が配さ れ、中央を白い環で引き締めている。環の中心と周辺の三方には、墨弾きにより白抜き文が描かれている。藍色一色により複雑で構成的な表現の粋が尽くされて いる。裏面三方に六つ玉の七宝文を描き、高台には櫛目文をめぐらす。(鹿島鍋島家コレクション) :肥前・鍋島藩窯 / 1700~30年代


染付鷺文三脚付皿

染付による単色であるが、鷺を白く塗り残すことによって、白をもう一つの色として演出している。裏面は幅の広い蛇の目高 台であり、高台縁には如意頭形の三足がつく。三足の畳付は施釉してあるため、浮かせて焼いている。蛇の目の部分は無釉であり、浮かせるために用いた窯道具 の小さな熔着痕が外側に20個、内側には等間隔ではない熔着痕が14個残っている。裏面三方に木蓮かと思われる折枝文を描く。(重要文化財) :肥前・鍋島藩窯 / 1690~1710年代


色絵菊牡丹文角瓶

板状の粘土を貼り合わせて成形しており、肩の部分はふくらみがある。底は無釉で平たく、淡褐色を呈している。各面は長方 形にみえるが、上端は下端よりそれぞれ8mm長く、逆台形状である。4面とも正確に差をつけてあるため、意図的な造作と考えられるが、背を高くみせるため の意図であろうか。各面には菊・牡丹・紅葉・萩の文様が描かれている。黒の輪郭線はかなり消えており、もとは鮮明で強い調子であったと想像される。 :肥前・有田 / 1670~90年代


鉄絵鳥文向付(絵唐津)

向付とは、食膳で向かい側に置き据える器の意。口縁部は波状を呈し、口縁内部に飛鳥を3羽と垣根状の文様を2ヶ所に描い ている。胴部は丸く膨らみ、鉄絵具で4ヶ所に四つ星(五つ星)の文様を描いている。高台部分を除く器表に半透明の釉薬が施されている。高台は低く、高台内 は粗く箆削りされ、高台畳付に糸切り痕を持つものが2点ある。枯淡の味わいのある5客組の向付である。 :肥前 / 1590~1610年代


象嵌双鶴文瓶(三島手)

胴上部は、2条の沈線で3区画を設け、3種類の花文を押印し、そこに白土を充填している。胴下部も同様に唐草文・よろけ 縞文・如意頭文が印花される。これらの文様帯の間に2ヶ所、向かい合うように鶴が2羽ずつ配置され、白土により象嵌される。鶴の嘴と足は鉄絵具によって描 かれる。高台畳付を除く全体に透明釉が施され、器表には貫入がみられる。類例が有田町天神森窯跡から出土している。象嵌は朝鮮陶工がもたらした技法であ る。 :肥前・小田志山 / 1610~40年代


三彩胴締水指

筒形に作り、銅の中央部を帯状に引き締めた水指には、上部左右に小振りな耳をつける。轆轤目を残した表は白濁した藁灰釉 をかけ、その上に褐釉と銅緑釉を柄杓(ひしゃく)で掛け流すが、火表は鮮明な三彩、火裏は枯れた地肌に火ぶくれがみられる。器内には薄い土灰釉(透明釉) がかかる。無釉の底部は碁笥底(ごけぞこ)のように内側を浅く削り、下膨れの水指に安定感をうみだす。蓋受けを作る後部は無釉であり、白土が塗られ、目痕 が13個程みられる。 :豊前・上野窯 上野皿山本窯 / 17世紀中葉~18世紀初


色絵傘婦人文皿

オランダはコルネリス・プロンクによる1734年の傘婦人図皿の原画にもとずき中国と有田に注文するが、この皿は中国の もので原画のインド風の婦人のかわりに中国の婦人を描き込む。内面には部分的に染付を施した素地に赤・薄赤・金で婦人のほか鳥や草花を表し、口縁部の地紋 は亀甲つなぎ文を描く。外側面は染付で七方に昆虫を配し、底部を碁笥底状に作る。 :中国・景徳鎮窯 / 1730~40年代


染付傘婦人文皿

色絵傘婦人文皿(収蔵番号311)の皿が色絵であるのに対し、これは染付で描かれている。色絵の方が原画に忠実であり、 この作品は花文の文様帯と草むらに簡略化がみられる。また、染付では表現しきれなかったのか、婦人の着物の柄はなく、無地である。器形は少し厚めであり、 この点は色絵の作と共通している。色絵と同様に、裏面には七方に虫文が配されている。高台内にハリ目跡が4個残る。 :肥前・有田 / 1730~40年代


色絵傘婦人文皿

アムステルダムの画家コルネリス・プロンク(Cornelis Pronk 1691-1759)はオランダの東インド 会社と契約し、中国に注文するための磁器デザインを手掛けた。この皿は彼のデザインの一つ、1734年の「パラソルレディー」をもとに制作されたもの。デ ザインの原画がアムステルダム国立博物館に所蔵されている。原画では見込の婦人像が中国人であるのに対し、有田の製品にはよくみられる日本婦人が描かれて いる。高台内にハリ目跡が3個残る。 :肥前・有田 / 1730~40年代


色絵瓢箪鯰童子置物

童子が瓢箪で鯰を押さえつけようとしている姿は、「瓢箪鯰」の話からとられた題材と考えられ、要領を得ないとりとめのな いという喩(たとえ)を意味する。各部分は型を用いて別々に成形され、それらを結合して一体化されている。鯰の底は中空で、体内に補強用の壁が3枚つけら れている。全体に本焼きの焼成が甘く、釉に細かな貫入がはいり、その部分は薄茶色にみえている。 :肥前・有田 / 1670~1700年代


前の10件 (41-50/316)    次の10件