「佐賀県立九州陶磁文化館」 に対する検索結果 : 316

情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 

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褐釉肩衝茶入

きわめて薄手で端正な形をしている。胴のおよそ中心部に一条の沈線が彫られ、その上方にかけてはロクロ目をめだたせ変化 をつけている。黄みを帯びた灰釉の上に褐色の鉄釉をほどこし、その一部が流れて景色をつくる。作行や内面に釉をかけていないことから、「綺麗寂び」をしめ す小堀遠州の指導をうけた、白旗窯かと考えられる茶入である。底部の糸切痕は左巻である。 :筑前・高取窯 白旗窯 / 17世紀前半


染付楼閣山水文手焙

もともと手焙として作られたものであるが、水指として転用され塗蓋とともに伝世している。共蓋の意匠は瓢箪文で、蔓と葉 は染付で描かれ、瓢箪の部分はその形に透かし彫りであらわされている。暖気が瓢箪の透かしからあがってくるという洒脱な遊び心が感じられる。胴部の絵付け は精緻で、なめらかな曲面をあらわす器肌に、見事な楼閣山水の風景がほどこされている。高台内の中央には染付銘で「須恵」と記されている。 :筑前・須恵窯 / 19世紀前半


兎形火入

ユーモラスな表情の兎を象った手焙。丸い兎の姿が温かみを連想させる。背面には尻尾が線彫りで表現され、可愛らしい。背 面に丸く口があけられ、そこから灰と炭を入れられる容器となっている。成形は型を用いたと推測され、胴部には継ぎ目らしい痕跡がみとめられる。無釉の底に 三ヶ所穴があけられているが、台に取り付けるためであろう。 :肥前 松浦系(椎ノ峰窯) / 18世紀後半~19世紀前半


緑釉唐花唐草文四耳壺(二彩手)

赤褐色の素地に肩から胴にかけて刷毛で白化粧し、その白土を削ることで唐草文をほどこしている。唐花唐草文は、花はスタ ンプによる印刻、唐草文は線彫りされている。肩には耳を四個つけ、胴部まで緑色に発色する銅緑釉をかけ、下半分は鉄泥を塗る。中国、明代後半にみられる緑 や黄色などで彩色された壺を模した製品。 :肥前 武雄系 / 1630年代~60年代


色絵草花鶴文輪花皿

乳白色の素地(濁手)の製品で、見込みには二羽の鶴が精緻に描き込まれている。二羽の鶴は互いに向き合い、一羽は地上か ら見上げ、もう一羽は飛来しようとする様であり、緊張感のある構図に仕上がっている。この文様に似た染付陶片が、柿右衛門古窯跡出土品にみられる。口縁部 には細かな花唐草文が一周し、口唇には口銹がほどこされる。 :肥前・有田 / 1670~80年代


色絵琴高仙人文鉢

魚(鯉)に乗った仙人が染付で描かれ、内側面には六方向に赤玉と瓔珞文が配されている。外側面は交互に青地と赤地の文様 を配置し、それぞれにみごとな唐花唐草文をほどこしている。厚めの器体に精緻な線と濃み塗りで複雑な文様が構築されており、当時の技術を結集した、最上級 の製品である。 :肥前・有田 / 1690~1720年代


褐釉御殿形蔵骨器(厨子甕)

みごとな鯱(しゃちほこ)で飾る御殿の形をなした堂々たる蔵骨器。沖縄では厨子甕(ずしがめ)とよばれる。正面に無釉部 分があり、ここには骨を納めた年月日と人名が記される。人名は消失しているが、紀年銘は清朝の乾隆54年(1789年)・嘉慶3年(1798年)がかろう じて読め、この厨子甕がこのころに製作されたものであることがわかる。浄土を象徴する蓮の表現も力強く、鯱や屋根瓦、棟の細部も丁寧に彫刻され、大物製品 の意気込みが感じられる。 :琉球・壺屋窯 / 18世紀後半


焼締線条文瓶

沖縄の蒸留酒「泡盛」を入れる容器で、ナナゴウタワカサー(七合二升徳利)ともウニヌテイ(鬼の腕)とも呼ばれる。東京 (汐留)、金沢(安江町)、長崎(万才町)などで出土例があり、江戸時代から一部の富裕層に泡盛が流通していたか、あるいは琉球王国から将軍家への献上と ともに本土にもたらされた可能性がある。また、この種の瓶は、茶道では花生として取り入れられている。 :琉球・壺屋窯 / 19世紀


壺(パナリ焼)

沖縄八重山地方の新城島はパナリ島と呼ばれ、この地で19世紀まで製作された土器をパナリ焼と呼んでいる。粒状の土が固 まったかのような独特の質感と素朴な味わいがあり、本作のような丸形の器は代表的なものである。底部には小さな穴があけられており、骨壺として転用されて いた可能性がある。 :琉球・八重山諸島 / 17世紀~18世紀


天目韻律花瓶

光沢のある天目釉上に、銀砂釉、鉄砂釉、瑠璃釉、緑釉で繊細な文様を描いた作品。 :肥前・有田 青木龍山作 / 平成9年(1997)


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