「佐賀県立九州陶磁文化館」 に対する検索結果 : 316

情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 

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呉須絵幾何学文瓶(宋胡録手)

「宋胡録手」は東南アジア、タイの旧都スワンカローク産の鉄絵陶器を手本としたと考えられたもの。白い胎土の上に鉄分の 多い呉須で描くため茶褐色に発色し、鉄絵のようにみえる。胴部は区画したなかをいろいろな幾何学文様で埋める。現在の鹿児島市内にある竪野窯などで宋胡録 手の陶器が焼かれた。この大形の徳利は、表面には透明釉がかかり卵黄色を呈し光沢がある。 :薩摩・竪野窯 / 18世紀後半~19世紀前半


染付梅花氷裂文壺

小振りな磁器の蓋付壺全面に、染付で氷の割れた様、氷裂文を描き梅花を散らしている。清朝磁器の影響で、肥前・有田など で用いられた意匠である。幕府領にある高浜焼(天草郡天草町)は、18世紀に九州各地で開窯する磁器窯のひとつで、地元天草の陶石を使い宝暦12年 (1762)に始まる。窯の名を示す染付銘「東肥天艸(草)」が、高台内に記されている。 :肥後・天草 高浜窯 / 19世紀前半


染付料理文瓶

18世紀以降、天草陶石が磁器の原料として流通するとともに、九州各地に磁器窯が誕生した。鹿児島を代表する磁器窯、平 佐焼もこの頃に創始された。 ややずんぐりした砧形の平底徳利は、平佐焼に多くみられる器形である。染付で描かれているのは、作法にのっとり料理儀式の定 める俎板(まないた)、包丁、箸、烏帽子、釣竿と魚。無釉の底部には、漆で「吉平」の二文字が記されている。 :薩摩・平佐窯 / 19世紀前半


色絵花鳥文広口大瓶

柿右衛門様式の広口瓶を模倣したもの。色鮮やかで明快な絵付が施され、色絵の発色の中で黄色は本歌のそえりょりも明度が 高く、めだっている。高台は畳付付近を一段削り込んでおり、この部分の釉はふき取ったかのように薄い。また、畳付には付着物がみられるのでこうした高台の つくりは台座をつけるなどの細工のためと考えられる。高台内には赤でホルンの窯印が入れられている。 :フランス・シャンティイ窯 / 1725~1800頃


色絵花盆文八角皿

有田の古伊万里(金襴手)様式の皿を写したもの。マイセン窯では柿右衛門様式のコピー以外にも古伊万里(金襴手)様式の 模倣もおこなった。意匠は裏文様まで忠実に写されている。金彩が濃く、金属的な輝きが強い。釉は透明感が強く、下絵の染付はにじみ、深い面にあるかのよう にみえる。裏面には三方に菊の折り枝文が配されている。高台内には二重圏線内にマイセンの交差剣の窯印が入れられ、「22」と活字による刻印がある。 :ドイツ・マイセン窯 / 18世紀中葉(1740年代前後)


色絵唐獅子牡丹文十角皿

柴垣と牡丹を右方、唐獅子を左方に描く。牡丹花の一部と桜花文に金彩が施されている。口縁部には雷文と紗綾形文が描か れ、間に桜花文が配されている。この桜花文は1個と2個が交互にくりかえされている。素地は乳白色で口部に銹釉が塗られている。裏面は無文であり、高台内 に5個のハリ支え跡がある。 :肥前・有田 南川原山 / 1670~90年代


色絵唐花文変形皿

糸切り細工による変形皿で、高台は角のゆるい菱形。波縁の変形のなかに、丸窓を二つ上下に並べてはみ出さすという特異な 形である。七宝文が地文として描かれているが、線を重ねて面にしている点に特徴がある。この七宝文の描かれた陶片が、大川内山の日峰社下窯跡から出土して いる。上絵は赤の線書きに黄と緑の絵具を施す。裏面二方に染付で菊唐草文、二方に唐草文、高台に剣先文が描かれている。 :肥前・鍋島藩窯 日峰社下窯 / 1660~80年代


三彩輪花皿

白化粧土を用いた装飾の多い現川焼において、三彩の製品は珍しい。実際は黒褐色・黄褐色・緑色・淡紫色・白色の5色の釉 彩を施す。成形は型打ち成形による。技術的には磁器の成型法がとり入れられたと考えられる。裏面全体に黄褐色の釉がかけられ、表の塗り分けにも用いられて いる。素地が陶胎であるため、三彩の色調が落ち着いたものとなっている。 :肥前・現川窯 / 1690~1740年代


呉須絵山水文瓶(京焼風陶器)

呉須(コバルト顔料)で山水や人家を描き、透明釉を施しており、器表全体に貫入がみられる。高台は露胎で、高台外側面は 面取りがなされている。高台内中央部は浅く円刻されており、その外側に「清水」と押印されている。京焼風陶器と呼ばれるもので、それまでの唐津系陶器とは 異なり、胎土が精選され、高台を丁寧に小さく削り出し、このように印銘を伴っていることが多い。唐津焼が京焼の影響と受けたものと考えられる。 :肥前 / 17世紀後半


染付楼閣人物文皿

見込の右下には楼閣風の家屋とその中に座す人物を描いている。後方には松の木、左手には山並みが続き、人物に向かい合う ように三日月が描かれている。また、見込に「倣夏筆意■」と記しているが、もとは「倣夏珪筆意」で、夏珪(南宋の画家)の筆使いにならうという意味。この ような書き方は明代の「八種画譜」など絵手本にみられる。「倣■筆意」と記した陶片は、有田町天神森窯跡などで出土し、17世紀前半頃にみられる。 :肥前・有田 / 1610~30年代


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