「佐賀県立九州陶磁文化館」 に対する検索結果 : 316

情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 

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象嵌暦手大壺

肥後・八代焼の代表的な装飾「象嵌」を、輸出向け沈香壺に似た大振りな壺の全体に施す。灰白色の精選された素地に文様を 刻み、白土を埋め、表面を拭うと細かな文様が現れる。「暦手」は伊豆の三島神社で作られた細字仮名書きの「三島暦」に由来し、よろけ縞状の文様が連なった もの。15~16世紀頃に朝鮮で行われた同様の技法の陶器を「三島手」と呼び、その技術が九州に伝わった。高台畳付に8ヶ所、高台内に3ヶ所貝目痕が残 る。 :肥後・八代窯 平山窯 / 18世紀


色絵唐花文変形皿

初期の鍋島に準ずるような作行(さくゆき)であることから、小城藩(佐賀藩の支藩)の御用窯と考えられた松ヶ谷窯の製品 と推測されて、松ヶ谷手の名で分類されたもの。有田の猿川窯でこの種の素焼状態の素地が出土し、松ヶ谷窯製品でないことが明らかになった。特徴は、丁寧に 貼り付けられた高台畳付を同程度の幅で3面削ること、高台内の素地に記号様の文字を陰刻したものが多いこと、外面は無文の変形の小皿が多いことなどがあげ られる。 :肥前・有田 岩谷川内藩窯 / 1650~60年代


藁灰飴釉掛分沓茶碗

意識的に口部を変形させ、胴下部をくびれさせた「沓形」の茶碗。茶褐色の陶胎にかけた透明感のある土灰釉の飴色と藁灰釉 の斑白(まだらじろ)は、織部好みの茶碗にみる掛け分けの装飾法を表す。胴には轆轤目の段を残し、高台は低く削る。伝世の箱には「まだら唐津沓鉢」とある が、慶長19年(1614)から寛永元年(1624)に焼かれた内ヶ磯窯跡から、同様な沓形茶碗が出土している。 :筑前・高取窯 内ケ磯窯 / 1610~20年代


色絵蔦文輪花皿(青手)

古九谷様式中期から後期の特徴をもつ。こうした高い高台をもつ皿は有田の山辺田4号窯などで色絵素地が出土している。裏 文様の密な唐草文は色絵山水木目文大皿(所蔵番号3261)に似通っている。内側面は型打成形によって菱花形に表され、それに流水文を描く。高台内の銘は 明末・中国の祥瑞の銘の一種(「禄」という)の影響を受け、1640年代頃から肥前磁器が用い、1660年代頃まで例をみることができる。口唇部には銹釉 を施す。 :肥前・有田 / 1650年代頃


褐地色絵花蝶文碗・皿

中近東からヨーロッパでコーヒーや茶の飲用に、こうした碗と受皿のセットがさかんに求められるようになると、有田や景徳 鎮で作られ輸出された。外側面に金銹色をした褐釉がかけられ、他は透明釉であり、高台内には二重圏線と花卉文の装飾銘はこの頃の景徳鎮や有田でしばしば用 いられた。内外に赤・緑・黄・紫で花卉文が描かれ、見込には牡丹・菊と蝶が表される。(山崎隆生氏寄贈) :中国‐景徳鎮窯 / 1680~1740年代


象嵌雲鶴文大皿(献上唐津)

内面を印花文と透彫で装飾した皿である。皿の内面を二重圏線で区画し、その間に透彫にされた雲と印花による鶴を、交互に 5ヶ所ずつ配置している。さらに、その区画の外側(見込側)に如意頭文をめぐらしている。鶴と如意頭、二重圏線の内側にみられる小花文は、押印した後に黒 土により象嵌されている。器表の透明釉には細かい貫入がみられる。唐津市唐人町に設けられた唐津藩の御用窯で焼かれた献上唐津と考えられる。 :肥前 / 19世紀前半


飴釉藁灰流太鼓胴水指

黒田藩の城下、福岡市西新町には高取焼・東皿山窯が享保元年(1716)に築かれ、御用窯として茶陶を焼成し、江戸時代 後半には贈答用としての陶器を製作した。明治4年(1871)の廃藩置県により御用窯は閉ざされた。堅く軽く焼締まったきめ細かな胎土で、太鼓をかたど り、天地には太鼓革を張る鋲をめぐらし飾りとする。薄くかけた土灰釉の飴色に、藁灰釉の白と青みを含んだ濃い茶褐色の釉調がけしきとなる。底部は平底で無 釉。 :筑前・高取窯 東皿山窯 / 18世紀後半~19世紀前半


象嵌青海波魚文陶硯

長方形の粘土塊を削りだして形造った硯である。表は墨をする「おか」と墨をためる「うみ」の高低をつけ、裏面底部は深く 彫り込んでいる。白土象嵌で青海波文と魚文を配し、全体にかけた透明釉は灰色に発色しているが、おかの中央部は丸く釉がぬぐわれて胎土の褐色をみせてい る。この無釉褐色の部分は使用により磨られたため一種の光沢を帯びている。 :肥後・八代窯 / 17世紀~18世紀前半


染付蜘蛛巣文八角皿

皿の内側に呉須で蜘蛛巣を描いた後、呉須による薄濃みを巣の外側に施す。また、口縁部外面に蜘蛛巣の一部を描き、高台畳 付を除く全体に薄濃みを施し透明釉をかけている。高台径は広く、高台内に楷書で「延寶年製」と記され、ハリ目跡が6ヶ所に残っている。中国には、蜘蛛巣と 蜘蛛を描き「喜従天降」とする図案があり、吉兆の意とされる。 :肥前・有田 / 延宝年間(1673~81)


色絵唐人文輪花皿

明末のこのような色絵は南京赤絵と呼ばれる。側面を型で菱花形に作り、文様の一部を染付で表した素地を本焼きする。口唇 部に銹釉を施し、高台内に染付で一重圏線と「天下太平」の銘を表すのもこの段階に行う。あらかじめ用意されたこの素地に黒線・赤線で輪郭を引き、赤・緑・ 青・黄の絵具で竹に雲・唐人物・太湖石などを描き、低い温度で焼き付ける。こうした中国の色絵の技術が1640年代頃に有田に伝わって日本の色絵磁器が始 まった。 :中国・景徳鎮窯 / 1620~40年代


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