「日本新聞博物館」 に対する検索結果 : 26件
情報所有館 : 日本新聞博物館
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インマルサットは、国際海事衛星機構が運用する海上用の衛星通信システムです。1980年代後半から陸上通信の使用が認 められました。報道機関は、電話回線が確保できない紛争地域や、山岳地域などでニュースや写真の速報に利用を始めました。 メーカー:日本無線(インマル サット端末設備) MTI社(米国 インマルサットA型端末) 使用:読売新聞東京本社
1976年、朝日新聞社が報道機関として初めてジェット機を導入しました。「はやて」の性能は、全長13.26m全幅 13.38m全高4.37m最大速度毎時840km巡航速度毎時640km最高高度12.400m航続距離2.700km。セスナ式500型。 メー カー:セスナ社(米国) 使用:朝日新聞東京本社
文久2年1月(1862年2月)、蕃書調所が編集、江戸の老皀館萬屋兵四郎が出版・発売した新聞。バタビヤ(現インドネ シアのジャカルタ)のオランダ総督府機関紙「ヤバッシェ・クーラント」(Javasche Courant)を翻訳したもので、諸外国とオランダ国内の重 要ニュースを掲載しました。「バタヒヤ新聞」とは、バタビヤからのニュースという意味。江戸幕府が海外情勢を知らせるために発行した日本語初の新聞で全 23巻。
元治2年3月(1865年)、ジョセフ・ヒコ(本名・浜田彦蔵 播州(兵庫県)の漂流民で米国籍)が横浜で創刊した新 聞。日本人による最初の民間新聞で、毎月2回横浜に入港する英国船のもたらす新聞を翻訳して国別に編集して掲載しました。慶応2年9月(1867年)の 26号まで発行(月2回刊)、発行部数は100部程度。
明治3年12月8日(1871年1月28日)に横浜で創刊した日本初の日刊新聞。神奈川県令(知事)・井関盛艮が新聞の 力を国民の開化発展に利用すべきと考え、横浜の貿易商らに説き資金面の協力を得て創刊しました。近代活版印刷の祖・本木昌造の弟子が製作にあたり、元幕府 横浜洋書検閲官の子安峻(後の読売新聞初代社長)とともに発行。和紙木版刷りの全盛時に、鉛活字を使用し、洋紙1枚・両面に刷られた刊行物は、これまでと は違う近代型新聞の誕生を告げる画期的なものでした。明治12(1879)年11月東京に進出、「東京横浜毎日新聞」「毎日新聞」「東京毎日新聞」と改題 したのち、昭和15(1940)年11月30日付で廃刊。
明治5年2月21日(1872年3月29日)、東京で創刊した現存最古の日刊新聞。条野伝平(戯作者)、西田伝助(貸本 屋の番頭)、落合芳幾(浮世絵師)らが発行しました。明治44(1911)年3月1日に「大阪毎日新聞」と合併、昭和18(1943)年1月1日に「毎日 新聞」に題号を統一し、現在に至っています。
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