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昭和10年前後のチラシ

鈴木藤吉の作品。鈴木藤吉の作品は現在約400枚の謄写印刷チラシが現存している。靴屋・呉服屋・食堂等これらのチラシ は昭和初期当時の世相を反映した内容となっている。また、技術的にも手書きとは思えないような文字・イラストや、挿絵は技術水準の高さを示したものであ る。 年代:1930年代


友野康夫作百人一首

友野康夫は岡山県の謄写印刷人である。戦後になって刊行した「孔版 楷体書鑑」は名著として知られる。戦前から名人とし て知られ、代表作がこの百人一首である。わずか名刺大の大きさの紙に百人一首を謄写印刷で筆耕・印刷したもので、米粒のような文字を拡大すると一文字一文 字はっきりと文字が読める人間業を超越した作品となっている。 年代:1930年代


太平洋戦争中チラシ

鈴木藤吉の作品。太平洋戦争時の印刷物はわずかに2枚だけなのだが、「撃ちてしやまん」「敵性非国民」「戦車も軍艦もわ れわれの貯蓄から」といった内容は戦時中の世相を表し、貴重な資料となっている。 年代:1943年


昭和謄写堂教則本

昭和謄写堂が刊行した教則本は十数冊あるが、その中でも「初等教本製版編(浅野一郎著)」と「初等教本印刷編(千田規之 著)」「楷書書体教範(三好 進著)」の三部作が著名であり、特に浅野一郎著初等教本製版編は1949(昭和24)年初版から1960年代末まで数十版を 重ねた。表紙は4種類存在している。初等教本についての近年の田中 栞氏の研究(「あうる」第86・87号)が秀逸である。 年代:1949年


昭和謄写堂月報(全102巻)

昭和謄写堂は戦前の数年間と、戦後は1948(昭和23)年から61(昭和36)年まで延べ102号まで謄写印刷の技術 指標となった機関紙「昭和堂月報」を発行し続けた。幅 弓之助社長を中心として草間京平・千田規之・若山八十氏ら名人たちが寄稿し、製版印刷の大部分を小 針美男が務めた。後年創刊号から101号まで昭和堂に残っていた残部を70組限定で箱に入れて頒布した。当館ではそれに「幻の102号」を加え全巻保存さ れている。 年代:1948-60年


若山八十氏個人誌「孔版」

若山八十氏の個人雑誌「孔版」は戦前に24冊、戦後1946(昭和21)年から56(昭和31)年まで約90冊が定期的 に刊行された。そのいずれも高度な技術と美術的色彩による作品であり、謄写印刷作品の最高峰の一つとして今も輝きを失っていない。当館では戦後の第6号か ら第88号までの中で52冊が保存されてある。他に若山作品では「魔法の鳥」「妖しい時間」「河童愛情記」等の孔版絵本があり、特に「魔法の鳥」は発泡ス チロールに印刷し、製本された日本一軽い絵本ではないかと思われる不思議な本である。 年代:1940年代


謄写印刷60周年ポスター

草間京平が1953(昭和28)年に林商店からの依頼で制作した世界最大の鉄筆による謄写印刷物。縦978ミリ横774 ミリ。このポスターを制作するために原紙・ヤスリ・印刷機・ローラーが特注され、全く継ぎ目が無い。謄写印刷作品の一つの頂点を示す作品として貴重であ り、残存枚数もほとんど無い。 年代:1953年


謄写印刷絵本「花咲く言葉」

1950(昭和25)年、植本浩嗣(十一)本文製版、草間京平挿絵製版による絵画絵本。当時1200部制作され、図書 館・施設等公共施設に1000部寄贈され、残りが謄写印刷研究者らに頒布された。植本浩嗣は楽譜製版名人として名高く、後に全日本謄写印刷業連盟(日謄 連)会長をつとめた。 年代:1950年


俳優佐藤 慶制作印刷物

俳優、佐藤 慶さんは1928(昭和3)年12月、福島県会津若松市に生まれ、会津若松市役所勤務後、俳優を目指して上 京、俳優座研修生となった。俳優活動だけでは生活できずに、夜間はガリ版の仕事で生計をたてていた。佐藤 慶さんが制作した印刷物は俳優座文書の他に教科 書の準備稿・団体会報・同人誌等多岐に渡っている。 年代:1950年代


佐藤 慶制作俳優座名簿

俳優、佐藤 慶さんが制作した俳優座関係の印刷物の中でも、1952(昭和27)年くらいの時期に制作された俳優座養成 所の研究生名簿は演劇史上貴重な資料であり、若き日の佐藤 慶、仲代達矢(元久)、小沢昭一、渡邊美佐子、佐藤 允など後年活躍する俳優の名が記されてい る。 年代:1952年頃


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