「日産ヘリテージコレクション」 に対する検索結果 : 318

情報所有館 : 日産ヘリテージコレクション 

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パルサーGTI-R 92年RACラリー出場車

ダットサン、ブルーバード、フェアレディZ、バイオレット、シルビアなどバラエティに富んだマシンを投入し、日産自動車は過酷な海外ラリーに積極的にチャレンジしてきました。1990年(平成2年)に誕生した4代目パルサー(N14型系)の超スポーツモデル・GTI-Rは、1991年(平成3年)と翌年の世界ラリー選手権(WRC)に参戦しました。市販仕様のパルサーGTI-Rは、コンパクトなボディに強力な直列4気筒DOHCターボのSR20DET型エンジンを搭載し、アテーサE-TSという日産独自の4WDシステムを採用していたことなどが、ラリー参戦のために白羽の矢が立てられた理由です。実戦では、エンジンパワーを30…年代:1992


ニッサンR92CP ♯24YHP

スポーツプロトタイプカー(グループCカー)による、全日本選手権がかかった耐久レースでも、日産車は数々の伝説を生んでいます。このR92CPは、全日本選手権を争う最後の年のレースに挑みましたが、全6戦のすべてでターボ車クラスの優勝を飾り、1991年(平成3年)から続く、製造メーカーとドライバーの両部門を3年連続で制覇するという偉業を達成しました。なお、ニッサンR92CPは、V型8気筒DOHCターボ・3,496cc、最高出力800馬力以上のVRH35Z型エンジンなどの基本的なメカニズムは、その前年のシリーズを戦った、ニッサンR91CPに準じています。年代:1992


ニッサンP35

ターボエンジンを搭載したマシンで、日産自動車に数々の栄誉とノウハウをもたらせたグループCカーによるレースは、1993年(平成5年)からターボチャージャーの使用が禁止されることになりました。そのため、この規則に合致して、なおかつ勝利を獲得するために、自然吸気エンジンのVRT35型エンジン(V12型DOHC・3,499cc、最高出力630馬力以上)とともに、ニッサンP35を開発しました。このマシンは、世界選手権シリーズにも投入される予定でしたが、同選手権の開催が中止になった事などから、日産はグループCカーによるレース活動を休止することとなり、NP35/P35の開発も打ち切られた。このため、実戦で…年代:1993


ニッサンP35

ターボエンジンが禁止になった、1993年(平成5年)のグループCカー規定に合わせて開発されたマシンのうちの1台です。国内選手権用に作られたNP35同様、V12・3,500ccの自然吸気エンジンを搭載しています。シャシーの開発を担当した米国NPTI社は、このマシンで同年、米国内で開催されるIMSA選手権を戦う予定でしたが、このマシンも83号車と同様にプロジェクト中止となったため、残念ながら幻のマシンとなりました。年代:1993


ニッサンR92CP ♯1カルソニック

1991年(平成3年)に国内で開催されたスポーツプロトカー耐久レースで、全7戦中5勝という圧倒的な強さを誇り、ドライバーズチャンピオンとなった星野一義/鈴木利男選手組のマシンです。翌1992年(平成4年)も同じコンビで、全6戦中5勝をあげ、連続王座を見事に堅守しました。日産自動車に、3年連続のダブルタイトル(メーカー部門、ドライバー部門)の栄誉をもたらしました名マシンです。心臓となるVRH35Z型エンジンは、V型8気筒DOHCツインターボで、最高出力は800馬力以上を誇りました。これを搭載した車体の重量は、1トンにも満たない重量でしたので、現在の軽自動車並の軽量マシンといえるでしょう。年代:1992


スカイライン ハードトップ 2000GT-X

アポロ11号が月面へ着陸した1968年(昭和43年)の7月、スカイラインはフルモデルチェンジを行い、3代目となるC10型系に生まれ変わりました。このクルマは、日産自動車と旧プリンス自動車工業の合併後初の新型スカイラインということで、大きな注目を集めました。発売当初は1,500cc、1,800cc、2,000ccエンジンと、4ドアセダンのみでバリエーションを構成していましたが、2年後の1970年(昭和45年)10月に待望の2ドアハードトップシリーズが登場しました。さらに、翌年9月には、直列6気筒OHC・1,998ccのL20型エンジンに、SUツインキャブを備えた2000GTの上位モデル、GT-X(ハイ…年代:1972


セドリック カスタム6

セドリックの2代目となる130型は、1965年(昭和40年)10月に発売。キャッチコピーは「高級車を気楽に乗り回すのが新しいやり方・ONTHECEDRIC」でした。1960年登場の初代のアメリカンスタイルとは一変して、イタリアのカロッツェリア「ピニンファリーナ」がデザインを手がけた欧州調スタイルに生まれ変わりました。また1965年は、7月に名神高速道路が全線(小牧-西宮間)開通するなど、高速道路が活性化していた時代です。そうした高速時代に対応するべく、2,000ccの直列6気筒OHCエンジンを採用したことも130型の大きな特徴として挙げられます。1968年9月のマイナーチェンジでは、フロン…年代:1969


セドリック 4ドアハードトップ ターボ  ブロアム

430型のセドリックは、1979年(昭和54年)6月にフルモデルチェンジを受けた5代目になります。それまでの2ドアハードトップはなくなり、ボディバリエーションは4ドアハードトップ、4ドアセダン、ワゴン/バンの3タイプとなりました。ワゴンは、3代目の230型以来の再登場となりました。この430型セドリックでは、乗用車では日本初となる直列6気筒ディーゼルエンジン(LD28)搭載車の追加や、エンジン集中電子制御システム(ECCS)の日産車初採用など、「初もの」のトピックが数多くありました。とくに注目を浴びたのは、同年12月のマイナーチェンジで日本初のターボエンジン(L20E-T)搭載車が登場したこ…年代:1982


セドリック グランツーリスモSV

1987年(昭和62年)6月にリリースされた7代目セドリックのY31型は、ドライビングの楽しさを強く追求したモデルでした。その傾向を色濃く現すのが、従来からの「ブロアム」に加えて新設定された「グランツーリスモ」です。スポーティなフロントデザインを備えるだけでなく、エンジンはV型6気筒の3,000cc、3,000ccターボ、2,000ccDOHCターボ、直列6気筒ディーゼル2,280ccなど数多くのバリエーションを誇りました。従来モデルよりもさらに高められた走りの高いクオリティは、当時の多くのユーザーに好評を得ました。記念車に積まれたVG20DETと呼ばれるV型6気筒2,000ccDOHCターボエン…年代:1991


ブルーバード 4ドアハードトップ 1800ターボSSS-X・Gタイプ

1979年(昭和54年)11月に発売された6代目の910型ブルーバードは、ダットサンの名を冠した最後のブルーバードであり、同モデル史上で最後のFR(フロントエンジン・リヤドライブ)採用車となりました。小型車中心の車種構成に生まれ変わったこと、直線基調のスタイルが好評だったこと、さらにFRでは初搭載の新開発ゼロスクラブフロントサスペンションによるスポーティな走りなどによって、発売されると瞬く間に人気が加速。そして27か月連続して、1,600cc-2,000ccクラスの小型車市場で登録台数第1位を記録するベストセラーカーとなりました。この1800ターボSSS-E・Gは、マルチボイスウォーニングを採用…年代:1982


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