「日産ヘリテージコレクション」 に対する検索結果 : 318

情報所有館 : 日産ヘリテージコレクション 

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ペンズオイルニスモGT-R *'99年JGTCシリーズ優勝車

レースに勝つために生まれたスカイラインGT-Rは、1999年(平成11年)1月に誕生した5代目(R34型)においても、そのポテンシャルの高さをいかんなく発揮しました。本車両は、そのデビューイヤーに開催された全日本GT選手権(JGTC)のシリーズ全6戦において、熟成されたレース仕様のRB26DETTエンジン(最高出力500馬力)や、シャシー性能などを武器に、常に安定したハイポテンシャルを発揮。見事にシリーズチャンピオンの座を射止め、前年に出走していた3代目(R33型)に続き、2年連続の王座を獲得しました。なお、市販仕様の同車はFR(フロントエンジン・リヤドライブ)を基本に、必要に応じて駆動力を…年代:1999


スカイラインGT-R *'96ル・マン公認用ロードカー

90年を最後に中断していた日産ル・マン挑戦は'95年、ニスモ(ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル)によって再開され参戦、しかし、スカイラインGT-Rの改造だけでは上位入賞は困難でした。そこで、'96年ル・マンでは、最新だったスカイラインGT-R(R33型)を大幅にモディファイしたル・マン専用GTカー「NISMOGT-RLM」を製作して挑むこととなりました。しかし、ル・マン24時間レースには「GTクラスに出場する車両は一般公道を走行できる車両が存在しなければならない」という規定がありました。このため、ニスモは「NISMOGT-RLM」のベース車となるロードカーを制作、英国で…年代:1996


ニッサンR390 GT1 *'98年ル・マン公認取得用ロードカー

スカイラインGT-R(R33型)でのル・マン24時間レース参戦は、1995年(平成7年)と翌1996年の2年間に及びましたが、これを引き継ぐマシンとして誕生したニッサンR390GT1も、出走資格である主催団体の公認を取得する必要がありました。そのため、一般公道を走行する際に必要な安全装備を施すなどして、実際に登録を行いホモロゲーション(レース参戦資格)を得る為に作られたのがこの記念車です。一般への販売は行われませんでしたが、もし市販化されたら1億円は下らないだろう、という噂が当時のレースファンの間ではささやかれたモデルでもあります。年代:1998


ニッサンR390 GT1 ♯32号実車('98年ル・マン24th総合3位)

日産自動車は、1986年(昭和61年)にル・マン24時間レースに初挑戦しましたが、ニッサンR390GT1で参戦した1998年(平成10年)は、ベストな結果を得られた記念すべき年でした。出走した3台すべてが完走を果たし、うち2台が総合5位と10位でチェッカーフラッグを受け、3人の日本人名ドライバーがステアリングを握りました。「元祖・日本一速い男」の星野一義、後にF1ドライバーとなった鈴木亜久里、当時の若手ナンバーワンドライバーであった影山正彦が駆るこの32号車は、予選14番手からスタート。当時1周13km以上のコースを347周して見事総合3位を獲得したのです。本車両は、日産自動車のル・マン24…年代:1998


セドリック スペシャル6 前期型

日本を代表する高級車として、長きに渡り愛されたセドリック。名プロ野球プレイヤー・長嶋茂雄さんが結婚した1965年(昭和40年)の10月に、2代目モデルとなる130型が誕生しました。ハイウェイ時代、モータリゼーションの本格発展の到来を見据えた、流麗なボディスタイルは、「フローイングライン」と命名されました。これは、大自然の中で空気がつくりだす美しい流れをイメージしたものです。もちろん、高速走行性能はもとより、静粛性や安全性も大きく高められました。本車両のスペシャル6は、直列6気筒OHC・1998ccで最高出力を105馬力としたL20型シングルキャブレター仕様を搭載しています。年代:1966


ブルーバード 1600SSSクーペ

マイカー時代をぐいぐいと牽引した、通称「ゴーイチマル」こと3代目ブルーバード(510型系)は、1967年(昭和42年)に生まれました。前席サイドウインドウの三角窓を廃し、すっきりとしたフォルムは「スーパーソニックライン」と称され、多くのファンから愛されました。また、セダンのみならず、よりスポーティなクーペもラインナップして当時の若者たちの憧れにもなりました。この1600SSSクーペは、1969年(昭和44年)式です。エンジンは高回転性能にも優れる、最高出力100馬力の直列4気筒OHC・1,595ccのL16型を搭載しています。ブルーバードに設定されたSSSは、スカイラインのGTと同様に、日産の…年代:1969


マーチ コレット

日産自動車のコンパクトカーとして、愛され続けているマーチ。初代モデルは、1982年(昭和57年)10月に発売されました。経済的で扱いやすいFF(フロントエンジン・フロントドライブ)、1,000ccエンジン、そしてファッショナブルなキャラクターで、行動的な女性を中心に人気を獲得していきました。記念車のコレットは、当時の最上級Gグレードをベースに、よりおしゃれで豪華な装備をプラスしたモデルで、さらに女性ユーザーから支持されることになりました。また、後にパンプス、i・Z(アイ・ズィー)など洗練された装備や仕様を採用した車種が、誕生するきっかけにもなったモデルです。エンジンは当時のリッターカーとしては…年代:1985


ニッサンR390 GT1 ♯32号車レプリカ('98ル・マン出場車)

世界でも屈指の過酷さを誇るフランスのル・マン24時間レースへの挑戦は、日産車の信頼性や先進性をより高める、価値ある実験の場でもありました。1998年(平成10年)に同レースへ挑み、過去のチャレンジも含めて日産最高位の総合3位を収めたR390GT1の32号車のレプリカモデルです。ベースとなっているのは同じレースで実際に走り、総合6位となった31号車のゼッケンやスポンサーカラーを変更したもので、搭載されているVRH35L型エンジン(V型8気筒DOHC・3,495cc、最高出力650馬力以上)など、メカニズムは同一の仕様となっています。年代:1998


スカイラインGT-R ペンズオイル・ニスモ( '98年JGTCシリーズ優勝車)

初代モデル(ALSI)から数えて9代目になるR33型は、1993年(平成5年)8月19日に発売されました。このモデルで4ドア/2ドアとも3ナンバーボディとなりエンジンは全て直6のRB系になりました。R33型のGTRは、2年後の1月6日に発売になり、同年4月に鈴鹿で行われた'95年JGTC開幕戦で、このレースをデビューウインで飾りました。本車両は、1998年(平成10年)の同選手権において、ニスモ(ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル)のワークスマシンとして参戦。エンジンの排気量を2,600ccから2,708ccに拡大し、最高出力は500馬力以上になっています。このマシンはシリーズ…年代:1998


スカイラインGT-R カストロール・ニスモ

直列6気筒エンジンを搭載した最後のスカイラインGT-RとなるR34型は、1999年(平成11年)1月に販売が開始されます。スカイラインGT-R歴代のモデルが、数々の栄冠を勝ち取り、伝説を打ち立てたレースの世界へも投入されました。本車両は、2000年の全日本GT選手権(JGTC)のGT500クラスに、元F1ドライバーの片山右京選手と、後にテニスプレーヤー・伊達公子さんの夫となる、ミハエル・クルム選手がコンビを組んで参戦した、ニスモのワークスマシンです。駆動方式は市販車の4WDとは異なり、FR(フロントエンジン・リヤドライブ)を採用しています。年代:2000


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