「日産ヘリテージコレクション」 に対する検索結果 : 318

情報所有館 : 日産ヘリテージコレクション 

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プリメーラ ’98アセアン選手権2位

並みいるヨーロッパ車を凌駕する高性能な走りと、優れたパッケージングのセダンとして高い評価を受けたプリメーラは、1995年(平成7年)に2代目モデル(P11型系)へと移行しました。初代同様にレスポンスに優れるSR20型エンジンを搭載。自慢のマルチリンク式サスペンションにも、さらに磨きをかけました。また、モータースポーツの世界では、国内の全日本ツーリングカー選手権をはじめ、イギリスやヨーロッパ各地でのレースでも大活躍しています。その勢いはアジアにも及びました。このマシンは、アジア各国を転戦する東南アジア・ツーリングカー・ゾーン・チャレンジアセアン選手権の1998年シリーズにおいて、2位を獲得した…年代:1998


ブルーバード 1200デラックス

国内乗用車の保有台数が100万台を突破した昭和38年(1963)の9月、ブルーバードは大好評を博した初代からバトンを受け、初のフルモデルチェンジを実施。2代目のP410型へと進化を遂げました。スポーティな丸型4灯ヘッドライトやヨーロッパ調のスタイリングは、当時の国産車とは異彩を放ち、注目を浴びました。それは、イタリアの名門カーデザイン会社である、ピニンファリーナ社にデザインを委託したからです。メカニカルな面でも革新性を求め、日産初のモノコックボディを採用し、軽量化とボディ剛性の確保を両立しています。発売当初は1000ccと、この記念車が搭載している1200ccエンジン(最高出力55馬力)の2…年代:1964


ニッサンR391

1999年(平成11年)、それまで日産自動車がチャレンジを続けていたル・マン24時間レースは、車両規則が変更されました。24時間の長丁場を戦い抜き、総合優勝を狙うためにはプロトタイプのマシンのほうが有利になりました。そこで開発されたのが、1人乗りオープンモデルのニッサンR391です。わずか900kg程度の超軽量ボディに、V型8気筒DOHC・4997ccのVRH50A型エンジン(最高出力600馬力以上)を搭載しています。カーボン製ブレーキディスクローターなど、最先端の素材と技術を惜しみなく投入して製作されました。なお、本車両はレース出場車ではなくレプリカモデルです。年代:1999


ニッサンR391

1999年(平成11年)のル・マン24時間レース必勝を誓い、誕生したニッサンR390は実戦には2台を投入しましたが、決勝前日の予選で1台がクラッシュに見舞われ出走できませんでした。本戦には予選を12位で通過したこの23号車のみで挑みましたが、スタートから7時間後の110周で残念ながらリタイアとなりました。しかし、この悔しさをバネに、同年11月に国内の富士スピードウェイで行われた、1000kmで競われる耐久レースでは、ル・マンに挑戦した同じ3人のドライバーが、チームとともに意地を見せ、見事に優勝を果たしました。本車両はそのときのマシンです。年代:1999


ニッサンNP35

モータースポーツへの参戦は、速さを追い求めるばかりではなく、新素材・新技術の応用、耐久力の確認など、市販車の信頼性をより高めるための鍛錬の場でもあります。日産自動車が1980年代から1990年代前半にかけて挑んだスポーツプロトタイプカー(Cカー)によるレースは、ターボ関連技術や空気抵抗低減などの幅広い分野で、多くの経験とノウハウを獲得することにも成功しました。しかし、1993年(平成5年)のシーズンからこのCカーではターボチャージャーの使用が車両規則の変更で禁止になります。そこで日産では、自然吸気のV型12気筒DOHC・3499ccの排気量から最高出力630馬力以上を発生するVRT35型を開…年代:1992


ニッサンR390 GT1

日産自動車とモータースポーツ活動を担うニスモ(ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル)は、1995(平成7年)と翌1996年、ル・マン24時間レースにおいて市販車をベースにしたマシンで挑みましたが、残念ながら満足できる成果をあげることができませんでした。そこで開発されたのがニッサンR390GT1です。当時の車両規則に則って製作された本格的なGTカーのVRH35L型エンジンは、V型8気筒DOHC・3495ccから最高出力650馬力以上、最大トルク72.0kgm以上を発揮。1997年(平成9年)より同車でのチャレンジを開始します。そして、挑戦2年目となる1998年に32号車が、星野一義/…年代:1998


プリメーラGT *'99年英国ツーリングカー選手権(BTCCシリーズ)優勝車

1992年(平成4年)、ヨーロッパでは2000ccのエンジンを搭載した4ドアセダンによるレースが各国でブームとなりました。イギリスではBTCC(英国ツーリングカー選手権)と銘打ったレースが大人気となり、当時イギリスでも生産されていた初代プリメーラが参戦。続く2代目モデル(P11型)も引き続きサーキットを疾走しました。このマシンは、1999年(平成11年)の同選手権で全26戦中13勝をマーク。製造メーカー部門、ドライバー部門、チーム部門など4冠を征したチャンピオンマシンです。エンジンは300馬力以上にパワーアップされたSR20DE型を搭載しています。年代:1999


バイオレット H/T 1600SSS-E

1973年(昭和48)1月、大衆車サニーとファミリーカーであるブルーバードUの中間的な車種への要望に応えて、新型バイオレットが誕生しました。乗用車系は、セダンとハードトップを設定しています。いずれもロングノーズ・ファストバックと呼ばれるスポーティなフォルムが与えられ、とくにハードトップモデルのエクステリアの流麗さは大きな話題となりました。この1600SSS-Eは、電子制御燃料噴射装置(ニッサンEGI)を備えたL16E型エンジン(直列4気筒OHC・1595cc、最高出力115馬力)を搭載しています。さらに、4輪独立式のサスペンションを採用し、優れた乗り心地と操縦安定性の高さも好評を得ました。T…年代:1973


ニッサンR390 GT1 *'98年ル・マン24時間レース出場 総合5位 30号車(クラリオンカラー)実車

日産自動車は1997年(平成9年)に7年ぶりにワークス体制を敷き、GTマシンであるニッサンR390GT1GTを開発。ル・マン24時間レースに復帰しました。エンジンはV型8気筒DOHCツインターボ・3495ccのVRH35L型で、最高出力650馬力以上を誇りました。ル・マン24時間レースの復帰初年は、最高位が総合12位という残念な結果となりましたが、翌1998年(平成10年)には出走した4台すべてが完走を果たし、総合3位、6位、10位の獲得に加えて、ゼッケンNo.30の本車両が予選10位から決勝へ挑み総合5位に食い込み、全車10位以内で完走し、その信頼性の高さを実証しました。年代:1998


バンテック・テラノラリー車 *2000年第6回ラリーレイド・モンゴル優勝車

市販乗用車をベースにしたマシンで、「ラリーの日産」と称される黄金時代を築くばかりではなく、SUV型の車両で挑むラリーにも日産自動車は積極的に参戦してきました。このテラノは、1995年(平成7年)に誕生した2代目モデル(R50型系)をベースに、2000年(平成12年)に開催された第6回ラリーレイド・モンゴルに参戦。スカイラインGT-Rなどで輝かしいレース成績を誇る、長谷見昌弘選手と息子の長谷見智之の組で出場しました。首都ウランバートルを起点に、3583km以上にもおよぶコースが設定された同大会において、2位のマシンに4時間もの大差をつけて2年連続の総合優勝とTI(市販ガソリン車無改造)クラス優…年代:2000


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