「日産ヘリテージコレクション」 に対する検索結果 : 318

情報所有館 : 日産ヘリテージコレクション 

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サニーバン 1200DX VB110

1965年(昭和40年)の車名の公募を受け、翌年に産声を上げた初代サニー。初代から4ドアバンが用意され、記念車のバンは1970年(昭和45年)登場の2代目のサニーバン1200DX(BV110型)です。搭載エンジンは、初代の1000ccから排気量がアップし、A12型と呼ぶ直列4気筒OHV1200ccで最高出力は68馬力を発揮しました。ボディも拡大され、テールゲートを跳ね上げ式に変更し、使い勝手が向上されました。グレードはスタンダード、スーパーデラックスAとBの3タイプを設定し、スタンダードとスーパーデラックスAは3速MT、最上級のスーパーデラックスBは、4速MTが採用されています。エンジンの排…年代:1970


スカイライン GT-R

1993年(平成5年)8月にリリースされた9代目スカイライン(R33型)は、GT-R(BCNR33型)も当然そのラインアップに加わりました。まず、同年秋に開催された第30回東京モーターショーに参考出品され、1年以上の時間を経て1995年(平成7年)1月に発売されました。R32型で16年ぶりに復活を果たしたGT-Rは、モータースポーツ界に一大旋風を巻き起こし、フルモデルチェンジしたR33型にも熱い視線が注がれ、「いつ出るのか」と、ファンをやきもきさせたものです。東京モーターショーで展示されたこのプロトタイプは、市販モデルとはフロントまわりとアルミホイールのデザインが異なります。もちろん、ボディ…年代:1993


プレーリー JW-G

ミニバンというカテゴリーが国内に存在せず、多人数乗車が可能なモデルがワンボックスワゴンと認知されていた、1982年(昭和57年)8月に初代プレーリー(M10型)が発売されました。駆動方式はFF(フロントエンジン・フロントドライブ)で、センターピラーレスの後席用スライドドアを採用する画期的なもので、優れた乗降性を実現しています。今日のミニバンブームにつながる草分け的な存在だったのです。JW-Gは8人乗りのタイプで、ほかに5人乗りと3/6人乗りのタイプもありました。エンジンは1800ccのCA18型直列4気筒OHCを搭載していました。年代:1984


グロリア スーパーデラックス

のちにセドリックと兄弟車の関係になるグロリア。初代はプリンス自動車工業の乗用車として誕生しました。3代目となるHA30型は1967年(昭和42年)に発売。日産・プリンス合併後初の新型車として注目を浴びました。エクステリアは、丸型のヘッドランプを縦に並べた4灯式となったフロントマスクが特徴で、直線基調のボディラインは、上級セダンらしさをアピールする均整のとれたプロポーションで、人気を呼びました。スーパーデラックスは、スーパー6をベースにいっそうスポーティに仕上げたグレードです。パワーユニットとして、2000ccで125馬力のL20型直列6気筒OHCエンジンを搭載。インフラ整備がますます促進され…年代:1970


ダットサン1000

ダットサン1000(L210型)を発売したのは、1957年(昭和32年)11月でした。その頃は自動車そのものが国内ではまだまだ高根の花という、贅沢品を象徴するものでしたが、前年には国民車構想も持ち上がり、自動車の大衆化という機運が高まりつつある頃でもありました。L210型を発売した翌年の1958年(昭和33年)1月には、ロサンゼルス輸入車ショーに出品し、さらに同年の8月-9月の豪州ラリーでダットサン1000「富士号」が優勝したことで話題となり、これが本格的な対米輸出のきっかけとなりました。ちなみに、ダットサン1000の後継車として誕生したのが、初代ブルーバード(310型)です。シルバーボディ…年代:1958


ニッサン R90CP

日産自動車は、市販車をベースにしたモータースポーツへの参戦に加え、レース専用に開発したマシンで速さを競うジャンルでも数々の成功を収めています。1990年(平成2年)に開催された、全日本スポーツプロトタイプ耐久選手権(JSPC)。「グループC」という規定で造られた車両が出場では、メーカー部門とドライバー部門のダブルタイトルを獲得。レースの世界では前年のチャンピオンマシンであることの証しとして「ゼッケンNo.1」をつけることになっているので、翌1991年(平成3年)に同レースに参戦したこの車両は、ボディサイドには「1」が輝いています。搭載エンジンは、レース専用のVRH35Z型(V型8気筒DOHC…年代:1990


ニッサンR90CK

フランスで伝統的に開催され、過酷なことでも世界的にも知られる、ル・マン24時間レース。日産自動車は1990年(平成2年)の大会において、日・米・英の3チームから合計5台をエントリーしました。このニッサンR90CKは、その中のアメリカチームから出場した1台です。空気抵抗が少なく、車両重量がわずか900kg程度のボディに、800馬力以上の最高出力をもつYRH35Z型(V型8気筒DOHC・3486cc)を搭載しています。外国人ドライバー3名が交代で長丁場の運転を担当し、予選を25位で通過。そして決勝では17位完走を果たしました。年代:1990


ダットサン バン1500デラックス

ダットサンバンは、日産自動車の創世記から戦後の高度成長期を中心に、さまざまな物資を運び、暮らしをサポートしました。このモデルは、1965年(昭和40年)5月に誕生した520型バン(1300ccエンジン搭載)の進化形として、1970年(昭和45年)2月に設定された1500ccのJ15型直列4気筒OHVエンジン(最高出力77馬力)を搭載しています。同時に型式名を521型とした変更したモデルです。本格的な高速道路時代を迎えるにあたり、商用車の世界にも、より強力なパワーが必要となってきたために生まれました。乗車定員は最大6名で、3名乗車時の最大積載量は500kgでした。年代:1972


ニッサン MID 4(II型)

MID4(ミッド・フォー)は技術開発の研究・開発と、その成果を自動車ショーを通じて、皆さんにお伝えすることも役目として加えた実験車両です。エンジンをミッド部(車体中央)に搭載し、駆動方式を4WDとしたスーパースポーツカーに由来して、車名をMID4としました。この車両は、1987年(昭和62年)に開催された東京モーターショー出展車で、エンジンは最高出力330馬力のV型6気筒DOHCツインターボ、VG30DETT型を搭載。サスペンションはフロントにダブルウイッシュボーン式、リヤにHICAS(ハイキャス)という操舵機構を採用したマルチリンク式を採用していました。このモデルは、市販には至りませんでし…年代:1987


プリメーラ・カミノ

市販車と同様に、レースの世界もデザインやエンジンなどマシンだけでなく、レースそのものが時代に合わせて変化を遂げます。1994年(平成6年)、国内で絶大な人気を誇った全日本ツーリングカー選手権(JTCC)は、これまで活躍したスカイラインGT-Rなどのスポーツタイプの車両から、2000ccのエンジンを搭載した4ドアセダンのマシンに統一して、速さが競われることになりました。このため日産自動車では、ヨーロッパ市場でも大好評を博していたプリメーラと、サニーを投入しています。このモデルは、プリメーラ・カミノをベースに300馬力にまで最高出力を高めた、4気筒DOHC・1997ccのSR20DE型を搭載。1…年代:1997


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