「日産ヘリテージコレクション」 に対する検索結果 : 318

情報所有館 : 日産ヘリテージコレクション 

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フェアレディ240Z

ロングノーズ&ショートデッキという、スポーツカーらしいスタイリングで、北米での人気はもとより、日本国内にも旋風を巻き起こしたS30型フェアレディZが発売されたのは、1969年(昭和44年)です。当初は2000ccモデルの2000シリーズが発売となり、2年後の1971年(昭和46年)には、L24型エンジンを搭載した、通称240Zと呼ばれる北米仕様と同じ2400ccモデルが追加されました。直列6気筒OHCのL24型エンジンは225馬力というハイパワーを誇りました。240Zは海外ラリーでも活躍し、1971年と1973年(昭和48年)のサファリラリーでは総合優勝を飾っています。車高が高く、スパルタン…年代:1973


スカイライン 1500 デラックス

スカイラインは名実ともに国産を代表する乗用車のひとつです。その2代目(S50型)が発売されたのは、1963年(昭和38年)11月でした。初代のアメリカ的な大柄なイメージとは打って変わり、軽快感のある機能的なスタイリングが大好評となり、人気を呼び起こしました。ボディはモノコックを採用し、4ドアセダンだけでなく、ステーションワゴンも用意されました。また、搭載された1500ccの直列4気筒OHVエンジンは、4万kmまたは2年間のメンテナンスフリーを謳った「封印エンジン」として、コマーシャルで話題となりました。年代:1965


フェアレディZ 300ZX

1989年(平成元年)に登場した、4代目となるZ32型フェアレディZは先代のイメージを踏襲しつつ、ロー&ワイドのスタイリングが特徴です。グラマラスなルックスは大きな話題となり、上級のスポーティカーとして人気を博しました。フェアレディZは、2000年(平成12年)をもっていったん生産が中止されましたが、5代目のZ33型が2002年(平成14年)に発売されるまで、Z32型は、長い間多くのファンを魅了し続けてきました。エンジンは3000ccのV型6気筒DOHC(VG30型)のみで、280馬力のターボと、230馬力のノンターボという2機種のラインアップでした。また、ボディタイプは2シーターと、2/2…年代:1989


ブルーバード 1200デラックス

2代目ブルーバード(P410型)は、1963年(昭和38年)9月にリリースされました。イタリアのピニンファリーナがデザインしたヨーロッパ調のスタイリングで、モノコックボディの採用が当時の話題となりました。軽量・高剛性となったボディに搭載されたエンジンは、1200ccと1000ccが用意され、1965年(昭和40年)には型式がP411になります。J型エンジンを搭載して1300ccモデルとして多くのユーザーから支持を得ました。また、スタイリングは、発売翌年の10月にラジエーターグリルが変更され、特徴的なバンパーのオーバーライダーも細身へと変更されました。記念車の1200デラックスは1200cc(…年代:1965


ニッサンサファリ4WD

サファリは、ニッサンパロールを受け継ぐモデルです。初代の160型は1980年(昭和55年)にデビューし、海外ではパトロールの車名で、砂漠など過酷な環境下で活躍しています。160系の搭載エンジンは、95馬力を発揮する3200cc直列6気筒OHVのSD33型ディーゼルエンジンと4000ccのガソリンP40F型、セドリック、グロリアに積まれていた2800ccガソリンのL28型を用意していました。また、海外向けのパトロールには、上下開きのリヤゲートドアやピックアップトラックを設定し、後に日本仕様にも追加されます。1982年(昭和57年)には、フロントグリル中央に日産のマークを移動するなどの小変…年代:1980


シルビア

1998年(平成10年)の全日本GT選手権・GT300クラスに参戦していたザナヴィシルビア(ザナヴィ・インフォマティクスがメインスポンサー)のレプリカモデルです。レプリカとはいえ、S14型シルビアをベースにボディ、足まわり、エンジンなどほぼすべてにチューニングが施されています。搭載された2000ccのSR20DETエンジンは、320馬力以上のパワーに到達しました。実際のレースでは、近藤真彦/青木孝行組がザナヴィシルビアのステアリングを握り、第3戦の仙台ハイランドレースウェイでは2位入賞を果たすなど、シリーズランキング6位の戦績を残しています。年代:1998


ニッサンR390 GT1

1986年(昭和61年)の参戦を機に、日産チームはフランスのル・マン24時間レースに挑みました。1990年(平成2年)の参戦以降、しばらく参戦を取りやめていましたが、1995年(平成7年)と翌年は、ニスモ(ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル)チームがR33型のスカイラインGT-R(ニスモGT-RLM)で参戦し、1997年(平成9年)以降は再び日産チームとして挑むことになります。このマシンは新たに開発したR390GT1です。かつてのGPマシン・プリンスR380(第3回日本グランプリ総合優勝)にちなんだネーミングが与えられ、650馬力以上となる3500ccのV型8気筒DOHCツイン…年代:1997


スカイライン GT-R

1995年(平成7年)と翌年の2年の間、ニスモチームがル・マン24時間レースに参戦しました。このマシンは、スカイラインGT-R(BCNR33型)をベースにしたGTカー「NISMOGT-RLM」です。市販のスカイラインGT-RはアテーサE-TSを搭載した4WDの駆動方式ですが、NISMOGT-RLMは重量的に有利な2WD(駆動方式:FR)に改造されているのが特徴です。22号車と23号車の2台がエントリーし、1995年は22号車(福山英朗/粕谷俊二/近藤真彦組)が総合10位・クラス5位となりました。搭載のRB26DETTエンジンは400馬力以上の最高出力となったグループN仕様です。年代:1995


ザウルスJr.

1987年(昭和62年)の東京モーターショーに参考出品され、1989年(平成元年)にはワンメイクレースのザウルス・カップも開催されました。また、その後は若手ドライバーの育成のために、入門編としてザウルスJr.が投入されました。約120台が製作され、日産レーシングスクールのスクールカーとして活躍しました。エンジンはプリメーラなどでおなじみの1800ccのSR18DE型で、最高出力は150馬力です。年代:1998


Be-1

K10型マーチをベースにした「パイクカー」シリーズの第1弾として、1987年(昭和62年)1月の発売されたBe-1。発売を前に、抽選で購入予約者を決定するという、異例の人気ぶりでした。この記念車は、発売と同時に、横浜ベイスターズのホームグラウンドである横浜スタジアムで活躍したモデルです。Be-1をベースとしてオープンカーに改造されたリリーフカーがファンの注目を浴びます。丸いヘッドライトの愛らしいフロントマスクはもちろん、赤いボディに日産自動車とBe-1のロゴが入り、助手席を少し高くした仕様が特徴で、約2年間、リリーフ投手を乗せて登場しました。かつて横浜に在籍し、大リーグでも活躍した「大魔神」…年代:1987


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