「日産ヘリテージコレクション」 に対する検索結果 : 318

情報所有館 : 日産ヘリテージコレクション 

前の10件 (111-120/318)    次の10件

ニッサンR90CK

1990年(平成2年)登場のR90Cは、ローラ製のシャシーを採用するなど、ローラ社と共同開発したグループCカーであるのに対して、R91Cでは100%日産自動車製となりました。黄色い27号車のR90CKは、ニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパで製作されました。末尾のCKは世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)仕様のマシンであることを意味しており、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)仕様との違いは、リヤスポイラー形状(リヤに装着したウイング状のスポイラー)で知ることができます。1990年(平成2年)を最後に日産チームは世界選手権参戦を中止しましたが、翌年のJSPCではフ…年代:1990


S-Cargo

第26回東京モーターショーでデビューしたBe-1に続き、日産自動車では第27回東京モーターショーでも話題作を出品しました。そのひとつがS-Cargo(エスカルゴ)で、翌年の1989年(平成元年)1月に発売されました。車種名のように、どことなくエスカルゴ(カタツムリ)を思わせる、遊び心あふれるエクステリアデザインはもちろん、商用車としての実用性を両立していました。エンジンの排気量は1500ccで、トランスミッションは3速ATとの組み合わせとなりました。標準ルーフのほか、キャンバストップもラインアップされました。本車両は、彫刻から映画監督まで幅広い芸術活動を展開した池田満寿夫氏(故人)によるカラ…年代:1989


ニッサンR90CK

プロトタイプカーのレースに出場を続けていた日産チームは、英国ローラ社と共同でR90型を開発しました。これには日産自動車の追浜工場で製作されたR90Cと、NME(ニスモ・ヨーロッパ)製作のR90CKの2タイプがありました。外観上での相違点はカウルやリヤスポイラーの形状でした。R90CKは、1990年(平成2年)-1991年(平成3年)にかけてル・マンを含む世界耐久選手権に出場したほか、米国の耐久レースにも参戦しました。83号車は、米国のNPTI(ニッサン・パフォーマンス・テクノロジーInc.)チームが、1991年のデイトナ24時間耐久レースに出場したマシンです。年代:1990


ニッサンR90CK改

R30Cのプロトタイプカーは日産自動車と英国ローラ社との共同開発で生まれました。モノコックボディを新たに設計するなど、剛性面はもちろん、中身も大きく進化。安全で速く走れるレーシングカーとなりました。NME(ニスモ・ヨーロッパ)で製作されたR90CKは、ル・マンなどの世界耐久選手権や米国のIMSA(インターナショナル・モータースポーツ・アソシエーション)レース出場。このゼッケン83号車は米国のNPTI(ニッサン・パフォーマンス・テクノロジーInc.)チームが1992年(平成4年)のデイトナ24時間レースのGTPクラスに出場しました。なお、この記念車は、3000ccのVRH30Zエンジン(V型8…年代:1990


ニッサンR91CP

日産チームはR91型から100%自社開発のプロトタイプカーでレースに挑みました。シルバーカラーの61号車は、プロトタイプカーのクラスであるグループCカーによる、全日本選手権の最後の年となる1992年(平成4年)のマシンです。チーム・テイクワンがコクヨ・テイクワン・ニッサンの車名で参戦、ドライバーは岡田秀樹/T・ダニエルソン組でした。デビュー2戦目となる富士1000kmレースで堂々の2位入賞を果たしました。それまでの日産チームは、マーチやローラといったイギリス製シャシーに自社製エンジンを搭載して戦ってきましたが、800馬力にも達する高性能なエンジンに見合うバランスのとれたマシンとするため、信頼…年代:1991


ニッサンR91CP

日産自動車とグループCカー(プロトタイプカー)の歴史は1985年(昭和60年)から始まります。英国のマーチ社やローラ社といった外国製のシャシーに日産のエンジンを積み、WEC(世界耐久選手権)や、国内の耐久シリーズに参戦していましたが、R91型からすべて自社製となったマシンでの参戦となりました。ゼッケン23のR91CPは、1992年(平成4年)のデイトナ24時間レースで長谷見昌弘/星野一義/鈴木利男組が日本人・日本車として初の総合優勝を飾った記念すべきマシンです。搭載エンジンは3500ccのVRH35Z(V型8気筒DOHCツインターボ)で、参戦当時は800馬力の最高出力にまで到達しています。こ…年代:1991


スカイライン GT-R

1973年(昭和43年)に登場した4代目スカイライン(GC110)以後、16年の歳月を経て、1989年(平成元年)にスカイラインGT-R(BNR32型)が待望の復活を遂げました。エンジンは280馬力をほこる、名機のRB26DETT(2600ccの直列6気筒DOHCツインターボ)を搭載し、アテーサET-S(4WDシステム)など、先進の装備が光るスーパースポーツモデルとなりました。ワイドボディのスパルタンなエクステリアデザインも相まって、まさしくスポーツカーの王者としてブームの牽引役をも果たしました。それは、全日本ツーリングカー選手権(JTCC)のグループAでも同様で、連戦連勝を成し遂げ、向か…年代:1991


パルサーGTI-R

4代目のパルサー(N14)の発売は1990年(平成2年)8月でした。先代のイメージを踏襲する進化で、均整のとれたスタイリッシュさが人気を博しました。一番のスポーティグレードは、230馬力を誇るブルーバードSSS-Rと共通した2000ccの直列4気筒DOHCターボ(SR20DET)を搭載し、アテーサ(フルタイム4WD)を採用したGTI-Rでした。このGTI-RをベースにしたWRカーが1991年(平成3年)のサファリラリーでWRC(世界ラリー選手権)にデビュー、以後2年間WRCで活躍しました。記念車の18号車は、1991年アクロポリスラリーに出場したD・ルウェリン組のマシンです。年代:1991


PAO キャンバストップ

1987年(昭和62年)1月にデビューしたBe-1に続いて登場した、日産の「パイクカー(遊び心のある、尖った鋭い感覚のクルマ)」の第2弾がこのPAO(パオ)です。1989年(平成元年)1月に限定モデルとして発売されることが正式発表されると、Be-1と同じくまたしても予約が殺到し、再び抽選で購入者を決定しました。ベースはマーチ(K10)で、1000ccのエンジンを搭載しており、3速ATとの組み合わせで扱いやすさを魅力です。エクステリア、インテリアともに思い切りのよいレトロ調なデザインで、いまでも中古車市場では高い人気を保っています。車名は、中国語の包(パオ)から由来し、モンゴルの遊牧民のゲオで…年代:1989


S-Cargo

1989年(平成元年)1月に、PAO(パオ)と同時期の発売されたS-Cargo(エスカルゴ)は、コマーシャルカーとしては斬新な、カタツムリをイメージさせるエクステリアデザインが大きな特徴で、PAO同様に人気を博しました。カーゴスペースは1230mmの荷室高と高くて実用的で、ルーフはスタンダードのほか、開放感のあるキャンバストップも選べました。コクピットはテーブルタイプのインパネデザインで、インパネの中央部に大型のスピードメーターを配置。ATのセレクトレバーをセンターコンソール上部にレイアウトする斬新なものでした。「パイクカー」シリーズでは唯一の商用車で、現在でも高い人気を保っています。年代:1989


前の10件 (111-120/318)    次の10件