「宮崎大学農学部附属農業博物館」 に対する検索結果 : 18件
情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館
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初期[昭和5年(1935)]の化学天秤では、試料を片側のさらに載せ、もう片側に微量分銅をピンセットで細心の注意を払いながら載せていきます。天秤がバランスすれば読み取りを行うのですが、その際には、数回にわたるさおの左右の揺れ幅を目盛板で確認し、振動法で静止点を算出していました。ひとつの試料の測定にはベテランの方でも何分もかかり、質量測定は経験がものを言う大変精密で手間のかかる作業でした。(引用:島津製作所サイト)
昭和33年(1958)頃。ダイヤルを操作し、ダイヤルの数字と、投影目盛を読み取るだけで、質量を知ることができます。「測定時間はわずか1分以内」というのが当時のキャッチコピーで、今まで何分もかかっていた測定時間が一挙に約1/3以下に短縮できました。当時の購入価格は20万円(価格は化学天びんの約3倍)したので大学などでは専ら教授や助手が主体で使用し、一般の学生はなかなか触らせてもらえない超高級品でした。(引用:島津製作所サイト)
大型の漏斗(ろうと)は現在から50年以上前に化学分析に使用されていたものです。大きさの違いは、当時の分析の「感度」の差を反映したものと言えるでしょう。大型の漏斗のサイズ:直径48cm×63.5cm現在の漏斗のサイズ:直径6.5cm×11cm
わが国では、明治34年(1901)に矢頭良一が国産第一号の”自動算盤”を製造販売するが、次に作製されたのがこの計算機である。この機械は大正7年(1918)にマーチャント計算機のコピーとして日本事務機製造株式会社で作製され、大正8年(1919)に日本橋の丸善で販売された。(引用:東京理科大学)当時の購入価格は240円。
大正12年(1923)に、ブルンスビガ計算機のコピーとして大本寅次郎が製作した計算機で、わが国では矢頭良一の”自動算盤”、丸善が販売した”アイディアル計算機に次ぐ、第3番目の実用計算機。(引用:東京理科大学)昭和15年(1940)頃(販売価格155円)
タイガー計算機昭和24年(1949)頃(販売価格28,400円)(引用:タイガー手廻計算機資料館サイト)
タイガー計算機昭和35年(1960)頃(販売価格35,000円)(引用:タイガー手廻計算機資料館サイト)
タイガー計算機昭和45年(1970)頃(販売価格35,000円)(引用:タイガー手廻計算機資料館サイト)
(株)長計算器製伯所製
養蚕が盛んな当時、学生の教材として使用されていたもの(市販品)
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