「中冨記念くすり博物館」 に対する検索結果 : 50件
情報所有館 : 中冨記念くすり博物館
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江戸時代の南蛮貿易の様子が描かれた絵画で、カンバス(絵を描く支持体)に革を用いている。16世紀半ばから18世紀頃に使われていたガレオン船(帆船:軍艦や商船として運航)、その船上で商売をしているポルトガルに中国人たち、港から海上を眺める人々などが力強く描かれている。ポルトガル人との貿易の様子を描いた絵画であったはずなのに、掲げた旗がオランダ国旗になっているのは、日本が鎖国となった後、ポルトガル国旗の上からオランダのものに塗り替えられたと考えられる。年代:16世紀半ば~18世紀
17世紀頃、オランダ東インド会社が有田の窯元に作らせた陶器で、薬や香料入れとして用いられた。胴体に染め付けられた『VOC』の文字は、社名の『VereenigdeOostindischeCompagnie』の頭文字をデザイン化したもの。伊万里の港から積み出され、関連会社の病院や薬局がある国々へと運ばれた。年代:17世紀
イギリスはロンドンの郊外に実存していた薬局で、開店は約100年前。閉店から半世紀以上が過ぎるその古い薬局の店内をそっくりそのまま移設し、再現。勤務していた数名の薬剤師は、病状に合わせて薬を処方、調合していた。当時のイギリスの薬剤師は、医師から独立した地位を認められていた。薬の他にも日用品、化粧品なども陳列しており、店内には約2万点の資料(薬品類)が残っている。年代:1900年頃
ベラドンナ(ナス科)の根から抽出し、濃縮したエキス剤。鎮痛・鎮痙・鎮咳・止汗薬。有効成分にアトロピンを含み、瞳孔を拡げる作用がある。そのアトロピンの副作用を美への追求に用いたのが中世ヨーロッパの女性たちで、ひと時だけでも大きく魅力的な瞳に見せたいとの願いから点眼する者もいたと言う。年代:1900~1950年
ジギタリス(ゴマノハグサ科)の葉を60℃以下で乾燥させ、細切りにした後、抽出したエキスを濃縮したもの。強心・利尿薬。栽培はヨーロッパのほか、日本でも行われていた。有効成分にジギトキシン等の強心配糖体を含み、心臓の筋肉の収縮を強化するため、うっ血性の心不全に用いられる。年代:1900~1950年
メソポタミア地方(現在のイラク辺り)・ニップルより出土した粘土板(複製品)。表面に楔形文字が刻まれており、“シュメールタブレット”、または“クレイタブレット”と呼ばれる。紀元前3000年頃、この地に文明を築いていたシュメール人の医師によって書かれたもので、文明史上で最も古いくすりの作り方の記録。展示している粘土板には、内服薬、湿布薬などの作り方が記されている。年代:紀元前3000年のものの複製
1962(昭和37)年に、アメリカより輸入された内視鏡(ファイバースコープ)。その時、輸入された数は5台で、こちらの1台は外科医武石明治氏(筑紫野市在住)が約130万円で購入したもの。当時の130万円は、現在の1千万円に相当する。当時、最新であったアメリカ製のファイバースコープの導入によって、現在最も一般的なX線を併用する胃潰瘍・胃癌などの正確な診断法が確立された。年代:1962年
別名を炎帝と言い、古代中国に実在した皇帝。農業と医薬の神として、中国では広く知られている。草を口に含んでいるさまが絵画や彫刻の題材(モチーフ)となっているのは、自らで植物などを服用して、その有効性・安全性を探り、体験から得た確かな薬物療法を人々に教えたとされているから。中国のみならず、日本でも薬業関係者には信仰されてきた薬の神様。この掛け軸は、配置売薬業を商いとしていた家で大切に所有されていたもの。年代:明治期
中国の伝説に登場する神獣で、6本の角と9つの眼を持つ牛のような姿をしている。徳の高い治政者の世に現れるとされ、人の言葉を理解し、病魔を防ぐ力があると謂われている。日本に伝わったのは平安時代。江戸時代には、旅行中の病気や厄除けのお守りとして、白澤の絵を懐に携え、旅する習慣があったとされている。栃木県日光市にある日光東照宮では、白澤の図を見ることが出来る。
中国の博物学者・李時珍(りじちん)によって編纂された本草の解説書。現在の図鑑に近い。1892種の本草が16部60種に分類され、詳しく解説されている。初版本を「金稜本」(全52巻)といい、1596(慶長元)年に刊行。こちらの「江西本」は第2版として全36巻にて1653年に刊行されたもので、江戸時代の初期に伝わり、日本の本草学に大きな影響を与えた。年代:1653年
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