「東京都計量検定所計量展示室」 に対する検索結果 : 31件
情報所有館 : 東京都計量検定所計量展示室
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江戸時代に両替商が金貨や銀貨などの両替のための計量に用いた天びん。天びん(天びん台を含む)の製作者である中堀与十郎は、「針口師」と称し、幕府の御用職人であった。この天びんに附属するマユ型の分銅は、江戸時代を通じて、分銅座制度として代々後藤四郎兵衛(世襲名)が所管していた。年代:江戸時代
江戸時代に主に銀の計量に使われていた棒はかり。皿象牙製。江戸時代には、貨幣制度として大判、小判、分金、朱金、分銀、朱銀及び文銭(銅又は鉄貨)などの定量貨幣の他に丁及び豆板銀と称するひょう量貨幣(不定量貨)があった。ある商品の価格が「銀何匁」という場合、このひょう量貨幣をはかりに掛け、その目方に調整するという方法が行われていた。(丁銀は大小各種の板、豆板銀は大小各種の粒で合わせる)このひょう量銀貨の、ひょう量用に使うはかりを、銀ぴょうと称していた。(製作:東京守随製作所)
江戸はかり座の4代目、守隋彦太郎正徳が寛文10年(1670年)から元禄4年(1691年)の間に製造したもの。附属する「おもり」はそのおもり重8匁5分のものと定められている。年代:江戸時代
江戸時代に主に銀の計量に使われていた棒はかり。江戸時代には、貨幣制度として大判、小判、分金、朱金、分銀、朱銀及び文銭(銅又は鉄貨)などの定量貨幣の他に丁及び豆板銀と称するひょう量貨幣(不定量貨)があった。このひょう量銀貨のひょう量用に使うはかりを銀ぴょうと称していた。附属の木箱はふたの上面に、墨書で「極」及び焼印で「極」印が附されている。箱の本体裏側には「丑五月改」及び「布新・布禅七持」とそれぞれ墨書で文字が附されている。
江戸時代に主に銀の計量に使われていた棒はかり。銀貨は重さが異なる秤量貨幣だったため、売手と買手、それぞれ自前の秤で銀貨の重さを調べた上で取引していた。少量の物をはかるのに便利なことから、医師や薬屋を営んでいた旧家では、薬の調合に使っていた。
江戸時代に主に銀の計量に使われていた棒はかり。銀貨は重さが異なる秤量貨幣だったため、売手と買手、それぞれ自前の秤で銀貨の重さを調べた上で取引していた。少量の物をはかるのに便利なことから、医師や薬屋を営んでいた旧家では、薬の調合に使っていた。年代:昭和35年
戦後の連合軍占領下、輸出用として製造したはかり(1目量50g、秤量10kg、1目量20L、秤量20LB)
第二次世界大戦の金属不足の時期に、製作された木製の秤。また、陶磁器製の分銅も作られている。(1目量5匁、秤量2貫、1目量20g、秤量7kg、製造No.3032)年代:昭和16~20年頃
傾斜てこを使用した不等間隔目盛の指示はかりで振り子式はかりの一つ。生糸の太さや稲穂の計量に用いられた。(1目量5Gr秤量50Gr)
郵便用のはかり。バネの弾性ひずみによる変位値によって重さを示す。
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