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光明社時代の製法漫画(1)

漫画家:藤原せいけん氏によって描かれた、当社の前身「光明社」時代の塗料製法の漫画の内の第1図 「光明社の外観」です。 明治14年から同30年ころ正面は8寸の角材を用い西向きでした。向かって左側が事務所、右側が倉庫で、事務所の奥が練り場でした。始業・終業の合図には拍子木をカチンカチンとならして巡回していました 年代:1940


光明社時代の製法漫画(2)

漫画家:藤原せいけん氏によって描かれた、当社の前身「光明社」時代の塗料製法の漫画の内の第2図 「油の天日晒し」。 明治14年から同30年までの光景です。石油缶を2つに切ったような容器を5個5列1組として並べ、その中に油を入れて天日により漂白していました。持ち運びに手間がかかり、「サァー夕立だ!!」という場合は大変でした 年代:1940


光明社時代の製法漫画(3)

漫画家:藤原せいけん氏によって描かれた、当社の前身「光明社」時代の塗料製法の漫画の内の第3図 「魚油の精製」。 明治14年から同30年頃までの魚油の精製光景です。鉄製の3升入りの丸缶に2升の魚油を入れ、油に点火して燃焼させます。攪拌すると下火になり、放置すると再燃焼するという方法でした。あまり臭いので歓迎されませんでした 年代:1940


光明社時代の製法漫画(4)

漫画家:藤原せいけん氏によって描かれた、当社の前身「光明社」時代の塗料製法の漫画の内の第4図 「魚油以外の油の精製」。明治14年から同30年頃まで、魚油以外の油の精製法は、釜に4升の湯を沸かし、その上に油を入れた平鍋を掛ける湯煎の方法でした。木の柄がついた鉄の剣を使って攪拌しながら加熱して精製していました 年代:1940


光明社時代の製法漫画(5)

漫画家:藤原せいけん氏によって描かれた当社の前身「光明社」時代の塗料製法の漫画の内の第5図 「ワニス焚き」。 明治14年から同30年頃までのワニス焚きの光景です。煉瓦つくりの炉の中に直径1尺2.3寸、高さ4尺の鉄製の丸缶を挿入し、石炭で加熱しました。当時温度計がなかったので、温度が上がり過ぎ、木栓が吹き飛んで驚かせました 年代:1940


光明社時代の製法漫画(6)

漫画家:藤原せいけん氏によって描かれた、当社の前身「光明社」時代の塗料製法の漫画の内の第6図 「ライスの製造」。明治14年から同30年頃まで、周囲3尺4寸高さ10尺の煉瓦の槽をつくり、上から水をかけてできたライス(炭酸カルシウム)を洗浄していました。下で鉢巻・法被姿の試験係が時々溶液をなめてアルカリ度をチェックしていました 年代:1940


光明社時代の製法漫画(7)

漫画家:藤原せいけん氏によって描かれた、当社の前身「光明社」時代の塗料製法の漫画の内の第7図 「光明丹製造の鉛切り」。 明治25年から45年まで、光明丹製造用の鍋が小さかったので、鉛の地金を「たがね」を当ててハンマーで2人1組になって3~4つに細分していました。このとき使っていたハンマーは「ポンコツ」と言っていました 年代:1940


光明社時代の製法漫画(8)

漫画家:藤原せいけん氏によって描かれた、当社の前身「光明社」時代の塗料製法の漫画の内の第8図 「光明丹の製造」。 明治25年から同45年まで、第7図で切った鉛を焼き芋用の鍋に入れて加熱しつつ攪拌し、できあがった(一酸化鉛)を石臼で粉砕、水簸して更に乾燥させ、再び鍋で焼いて色をつけていました。この工程には60日を要していました 年代:1940


光明社時代の製法漫画(9)

漫画家:藤原せいけん氏によって描かれた、当社の前身「光明社」時代の塗料製法の漫画の内の第9図 「リサージの水簸」。 明治27年から同30年頃、リサージ(一酸化鉛)の粉末を選別するのに使った水簸装置です。4斗樽の高さは約6尺。それから下に段々式に流水を利用して粒子を分別しました。当初はポンプが無いので手杓を使っていました 年代:1940


光明社時代の製法漫画(10)

漫画家:藤原せいけん氏によって描かれた、当社の前身「光明社」時代の塗料製法の漫画のうちの第10図「平井社員の表彰」。 亜鉛華の精製は明治27年以降も行なわれていますが、この方法を発明した平井社員は亜鉛華精製法発明者として賞状と賞金8円が授与されました。生産能力は1日36貫 (但し、硫黄を使った方法は創業者:茂木氏の特許) 年代:1940


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