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情報所有館 : 呉市海事歴史科学館 大和ミュージアム
材料の加工組立の際、物の幅などが、標準寸法どおりかどうか効率的に測定する器具。目的に応じて様々な形態のものがある。
主砲装甲鈑をとめるくさびの図面がしめされている。
尺度1/50完成図。原図は、絹の布地に特殊なロウを塗り、からす口を使って製図してある。
1933年に書かれた、呉海軍工廠造船部での実習時の講義などのノート。潜水艦建造、船渠設備など、造船技術に関する記述がされている。 年代:1933
滑車、25ミリ機銃薬莢、靴底
バッテリー、海水ホースのノズル、ラッパ、15.5センチ副砲砲口栓、伝声管
火薬館の中蓋、12.7センチ高角砲薬莢、公室用の真鍮製内装材
タイル床(士官用浴室)、下士官用食器、酒ビン、電気スタンド台、ビールビン、どんぶり
ワシントン条約で主力艦の数を抑えられた日本海軍が、これを補うため開発装備を進めた長射程の「酸素魚雷」。従来の魚雷の欠点であった射程距離の不足、航跡発生の問題を解決するため、燃料酸化剤に純粋な酸素を用いていた。この酸素魚雷を太平洋戦争までに実用化できたのは、日本だけでした。開発に成功したのは呉海軍工廠魚雷実験部で、水雷部がおもに製造を担当した。
明治基地(現・愛知県安城市)第210海軍航空隊の所属機。1945年8月6日夕方、吾妻常雄海軍中尉(当時)が操縦運転中、エンジントラブルにより琵琶湖に不時着したもの。機体修復には、吾妻氏の協力を得た。