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情報所有館 : 和鋼博物館 

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けら(鉧)

3昼夜のたたら操業が終わると炉の下に還元鉄の塊ができる。これをけら(鉧)と呼んでいる。たたら操業技術は江戸時代後期に完成したと考えられており、これによりできた鉧は大体3トン程度である。この中に約2トン程度の玉鋼ができる。鉧はどうと呼ばれる錘を上から落として割られる。これらを選別して刀匠や鍛冶屋の素材として供給される。: 西暦1800年


たたら(鈩、鑪)

日本古来の製鉄法である『たたら製鉄』は主として砂鉄を原料にして、木炭で加熱、還元して鉄を製造するものである。その起源は一般には古墳時代の後期の6世紀末ごろの「野たたら」とされていますが、江戸時代に技術的にほぼ完成し、「近世たたら」あるいは「永代たたら」と呼ばれています。展示室にはこの「近世たたら」が実物大に復元して展示してあります。: 西暦1993年


ふいご(鞴、吹子)

ふいごはたたらの木炭の火勢を上げ、砂鉄を還元するために必要不可欠な道具です。ふいごは鞴、吹子とも書きますが、皮吹子から踏吹子、吹差吹子などがありますが、江戸時代には効率の良い天秤吹子が山陰地方で発明され製鉄用にこれが使用されます。天秤吹子を踏む人を番子といい、苛酷な労働のため『代わりバンコ』という語源がここからでます。: 西暦1881年頃


刃物鋼とヤスキハガネ

たたら製鉄の技術を受け継いだ現日立金属(株)安来工場が製造するヤスキハガネは、不純物が少なく強靭で耐久性に優れ切れ味が良いために、包丁、鋏、大工道具などの高級刃物類に多用されている。青紙、白紙、黄紙、銀紙、ATSなどの刃物鋼の鋼種名は日立安来の登録商標になっている。: 西暦 1993年


包丁鉄

たたら製鉄で出来た鋼(和鋼)は、鍛冶場で破砕選別され、品質の優れたものは日本刀の素材とされる。また、高炭素分の銑(ずく)などは鋳物用原料となるが、一部は加熱・鍛錬されて低炭素分の包丁鉄となる。この包丁鉄は色んな鉄の日用品に使用された。島根県安来市の和鋼博物館には、日立金属(株)安来工場の前身である“雲伯鉄鋼合資会社”が明治の頃に手掛けていた包丁鉄が展示されている。: 明治時代


古代刀

和鋼博物館には島根県安来市の高広横穴及び大成古墳から出土した古墳時代の大刀の復元品二振りが所蔵されている。これは、出土品を科学的に分析して原料や製法を推定し、熟練の刀匠の技により現代に復元された、意欲的な作品である。また外装もそれぞれ復元されており、当時の姿を彷彿とさせる。: 西暦1992年


安来の鉄問屋街

安来の町は、中国山地のたたら製鉄で造られたハガネの積出し港として古くから栄えた。特に江戸時代には北前船でここから各地の金物生産地へと輸送された。安来港周辺は、鉄問屋、米問屋などが立ち並び賑わいをみせた。安来の問屋街の図や両替商が用いた“天秤秤”、“船積み用こも包み”などを展示した。尚、山中のたたら場から町の鉄問屋まで馬で陸送した際に鞍掛けに用いた“さんどがけ”も展示している。: 西暦1993年


川舟(かわぶね)

たたら製鉄で使用される砂鉄は、鉄穴流し(かんなながし)による山砂鉄だけでなく、川砂鉄も用いられた。安来市の和鋼博物館の玄関先に展示している小鉄舟と呼ばれる川砂鉄を運ぶための川舟は斐伊川で実際使用されたもの。 “鋤簾(じょれん)”や“すき板”で川底から採取した砂鉄を岸辺までに運ぶために使用された。


日本刀

わが国が世界に誇る鉄の工芸品。古来の製鉄法「たたら製鉄」によって生産される良質の鋼「玉鋼(たまはがね)」を原料として、刀匠秘伝の製法により作られる。その洗練された姿、鍛えられた地鉄、美しい刃文などに、時代や流派の特色を現している。刃長や形状などにより、太刀・刀・脇差・短刀の他、剣・薙刀・槍などに分けられる。和鋼博物館には日本刀のほか、刀剣に関する古文書も多く所蔵されている。


日本刀鍛錬工程

日本刀は日本古来の製鉄法「たたら製鉄」によって生産される良質の鋼「玉鋼(たまはがね)」を原料として、刀匠秘伝の製法により作られる。その製作技術は、時代、流派、個人によってかなり異なるものであるが、和鋼博物館ではその一例を展示解説している。日本刀は、作刀技術を持つ刀匠を始めとして、研磨(研師(とぎし))、外装(鞘師(さやし))など各部門の専門の職人によって製作される。: 西暦1993年


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