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情報所有館 : 東芝未来科学館 

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日本初の写真用閃光電球

1929年(昭和4)にドイツ人ヨハネス・オステルマイエル氏によって閃光電球が完成し、わが国でも1931年(昭和6)に東京電気(当社の前身)がマツダ閃光電球として製作した。外形はマツダ白熱電球100ワットと同一で、口金はエジソンベースである。硝子球の中に低圧純粋酸素とアルミニュームの極薄箔があり、発火用の口金から来た2本の電線の先に極短い加熱される抵抗線がある。この抵抗線條が加熱されて薬品に火が付き、アルミニュームの箔が60分の1秒位強烈に燃焼し、発する光度は実に20万燭光となる。年代:1931年


日本初の電気掃除機 VC-A型

1931年(昭和6)に芝浦製作所(当社の前身)がGE社製をモデルに開発した日本初のアップライト型真空掃除機VC-A型である。価格は110円で当時の大卒初任給の2ヶ月分に相当した。この掃除機の吸込用床ブラシとモータが一体化した先端部には走行車輪がつき、軽く手で押すだけで掃除が出来るよう工夫されている。掃除機の性能を左右する集塵袋は、埃を濾過させるフィルター効果と通気性を考慮し、布を縫い合わせた袋状になっており、アルミ金具で押さえてある。年代:1931年


マツダオリオン電気蓄音機 800号

1933年(昭和8)に発売されたマツダオリオン電気蓄音機800号は、ラジオ受信機と電気蓄音機併用の高級品として専門音楽家の推奨を受けた。ラジオ受信機としては、電源整流管などにマツダ真空管を使用して、清澄な音色と豊富な音量とを提供している。更に、電気蓄音機としては優良なるピックアップを用い、レコードの再生を低周波増幅器で拡大しており、これに速度調節器、自動停止装置等が付随している。年代:1933年


世界最大級のラジオ放送用送信管 UV-171

満州事変が始まると、無線通信装置の製作は各方面とも多忙をきわめ、放送機も一段と出力が増大された。放送機の基幹となる送信管についても、1934年(昭和9)に150kW放送機用の陽極損失250kWの水冷三極管UV-171を完成し、戦前の送信管製作史上に一大隆盛期をもたらした。UV-171は全長165cm、最大直径25cmの送信管で、設計から製作まで当社独自の方法によったもので、当時は世界最大級に属するものである。この送信管は1936年(昭和11)に完成した東京中央放送局の150kW放送機に使用された。年代:1934年


日本初のタイムスイッチ

当社がタイムスイッチをはじめて製作したのは、1934年(昭和9)のことである。最初の製品はマークタイムスイッチと呼ばれるゼンマイ式のもので、わが国での第一号器でもあった。第二号器はミゼットモータを使用した電気時計セレクトスイッチで、12時間内の任意時刻に動作できるようにしたものである。戦後になってマークタイムスイッチの生産を再開し、1954年(昭和29)に開発した新器種は色彩豊かなプラスチックを用いたので家庭電化のイメージに合い,好評を博した。年代:1934年


日本初のテレビ用撮像管(アイコノスコープ) 7015

当社が1935年(昭和10)に完成した日本初のテレビ用撮像管(アイコノスコープ)を1953年(昭和28)のテレビ放送開始に合わせてフィルム送像機(テレシネ)用に商品化した撮像管である。当時は、ニュースなどは映画フィルムで撮影し、放送局で現像したフィルムをフィルム送像機(テレシネ)で撮像送信した。この撮像管を用いたフィルム送像機の光陰極は世界の注目を浴びた高感度の材料(Ag-O-Cs)である銀セシウム光電膜を採用し、日本のテレビ時代を先駆けた。年代:1935年


放送機用熱陰極水銀蒸気格子制御整流管(サイラトロン) TV-926

1935年(昭和10)に200kW大電力送信機に使用する増幅管とともに、大形水銀整流管を完成した。また放送機用の熱陰極水銀蒸気格子制御整流管(サイラトロン)TV-926も完成したが、これは当時の150kW送信機の電源用整流管としては最大逆耐電圧18000V、最大平均電流30Aという世界屈指の大容量のものであった。1937年(昭和12)、東京放送局に据え付けられ、大電力電源として鉄槽型整流管と比較使用した結果、動作堅実、信頼度大なることが確かめられた。年代:1935年


日本初の蛍光ランプ

米国GE社のインマン博士が発明した蛍光ランプが実用化されたのは1934年(昭和9)である。東京電気(当社の前身)は、早急に事業化しようと、1939年(昭和14)に3名の技術者をGE社に派遣し、直接インマン博士から技術指導を受け、翌1940年(昭和15)に少量ながら日本で初めて蛍光ランプの製作に成功した。すべての部品が手作りであり、GE社のインストラクションを頼りに試作が進められ、4本足の真空管のベースを取り付けて完成させた。年代:1940年


法隆寺壁画模写に使用された蛍光灯スタンド

大和法隆寺の金堂は世界最古の木造建築であるが、大改造を要する時期となり、その壁面にある有名な壁画を模写して、後世に残すため、1940年(昭和15)8月から模写事業が開始された。金堂の内は、晴天でも1ルクス以下という暗さで、照明には輻射熱の少ないこと、光色が昼光と同じであること、電力が少ないこと、紫外線の少ないことの4条件が要求されたが、丁度当社の蛍光灯が完成した時であり、早速これが利用された。初点火は8月27日で、この日和田画伯の最初の一筆が下ろされた。年代:1940年


三笠宮殿下に献上された蛍光灯スタンド

1941年(昭和16)5月24日に三笠宮殿下が東京芝浦電気株式会社マツダ支社をご訪問され、光栄を記念して蛍光ランプスタンドを献上した。スタンドの笠はチーク材仕上げの木製にて、20Wの蛍光ランプ1本及び付属起動装置を収納したもので、電灯器具課の設計になるものである。また、同年12月9日に海軍省軍令部を訪ね、楠製漆塗りの15W昼光色蛍光灯スタンドを高松宮殿下に献上した。これに引き続き天皇、皇后、皇太子殿下など皇室関係者にも献上した。年代:1941年


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