「東芝未来科学館」 に対する検索結果 : 100

情報所有館 : 東芝未来科学館 

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エジソン炭素電球量産品のレプリカ(電灯100周年記念)

1879(明治11)年にエジソンが実用的な炭素電球を発明して以来、100年余を経過したが、その間に多くの研究が重ねられてきた。1979(昭和54)年には、炭素電球の発明100周年を記念して各地で記念行事が行われた。またエジソンが炭素電球のフィラメントに京都石清水八幡宮の竹を使用したことにあわせて、当時と同じ石清水八幡宮の竹を使用して、炭素電球のレプリカを当社横須賀工場で製作し、CIE(国際照明委員会)京都大会の会場などで、展示された。年代:1979年


世界初の電球形蛍光ランプ(ネオボール)

既設の白熱電球のソケットにそのまま取りつけられることのできる電球形の蛍光ランプ(ネオボール)である。白熱電球に比べると、同じ明るさで消費電力を1/3に節約できる。寿命も約3倍(6,000時間)に伸びている。また放熱量が、白熱電球の1/4以下であるところから、店舗などは夏場の冷房費の節約もできる。この種の電球形蛍光ランプとしては世界に先駆けて商品化したもので、1980年(昭和55)7月の発売以来、生産が需要に追いつかぬほど好評であった。年代:1980年


東芝ポータブル形日本語ワードプロセッサ TOSWORD  JW―1

重さ11,5Kgで持ち運びの容易な日本語ワードプロセッサを商品化し、1982年(昭和57)秋から販売を始めた。価格も初めて50万円台を実現し、それでいて入力、出力など日本語文書作成の基本機能では高級機なみのものを備えている。1978年(昭和53)秋に日本で初めて開発した日本語ワープロ JW10に比べて、わずか4年間で体積は1/20、重量は1/15、価格は1/10以下となり、半年間で6千台を販売し、ポータブル日本語ワープロの原型モデルとなった。年代:1982年


世界初の赤外線反射膜応用ハロゲン電球(ネオハロクール)

当社は、1983年(昭和58)に赤外線反射膜を応用したハロゲン電球(ネオハロクール)を開発した。耐熱性に優れた透光性赤外線反射膜を、有機金属溶液を用いたディッピング法でハロゲン電球の外面に形成している。この反射膜は、高屈折率膜としてチタニア、低屈折率膜としてシリカからなる多重干渉薄膜であり、ハロゲン電球に応用したのは世界初である。フィラメントから放射される赤外線を再利用することにより、従来のハロゲン電球より大幅な省電力設計となっている。年代:1983年


世界初のラップトップPC T1100

業界標準機と完全互換性を持ち、持ち運べるサイズまで小型化したPCなら必ず売れる。こんなアイデアで1984年(昭和59)にラップトップPC開発に着手した。開発者たちにとって不可能とも思えたPC開発だったが、困難を克服し何とか開発できた背景には、小型化のためのキー部品である3,5型FDD、大型LCD、半導体技術などほとんどが社内で共同開発できたことにある。1985年(昭和60)4月に世界初のラップトップPCを最初に欧州で販売した。年代:1985年


東芝パーソナルワープロ RUPO JW-R10

1985年(昭和60)に販売された本格的パーソナルワープロで、RUPO(ルポ)の愛称で親しまれた。当時、パーソナルワープロ市場への参入が増加し、機能を絞った10万円を切る機種が続々と発売されていた。この「低価格・低機能」の流れを変えたのが、当社のJW-R10である。24ドット印刷、文節変換入力などの高級機並みの機能を提供しながら、9万9800円という価格で発売され、発売2ヶ月で6万台とワープロ史上空前の大ヒット商品になった。年代:1985年


日本初の1MビットDRAM

当社におけるDRAMの歴史は、1973年(昭和48)に1KビットDRAMを開発したときに始まる。1982年(昭和57)から開始された“W作戦”の重点戦略として1MビットDRAMの開発がスタートした。一貫した設備投資による土台作り、技術者の重点配分による技術力強化を行い、1984年(昭和59)に世界に先駆けて開発、翌1985年(昭和60)に半導体技術の国際会議で発表した。1MビットDRAMは、当社の技術を世界的レベルにまで高め、当社全体でもヒット商品の一つとなり、半導体事業の発展の基になった。年代:1985年


世界初のHDD内蔵ラップトップPC T3100

1986年(昭和61)に当社が海外向けに発売した世界初のハードディスク内蔵の16ビットラップトップPCである。振動や衝撃に弱く、実現が不可能とも言われた10Mバイト固定デスク(HDD)を1インチの厚みに実装、さらに高性能CPU80286(8MHz)を採用するなど、技術力の高さを米国PCマガジン誌が「The King of Laptop」と称賛した。その後も次々と継続機種を発表して、当社がラップトップPCの世界的メーカーであることを印象づけた。年代:1986年


世界初の家庭用立体カラーカメラ SK-D37

撮像部にCCDを使用した超小形のカメラヘッド部を人間の目の間隔に2個並べ、そこから得られる2枚の映像信号を交互にVHS-CタイプのVTRに記録することによって、カメラ1台で立体映像の撮影記録を可能にした立体ムービーを世界で初めて開発した。この立体ムービーは二つのカメラヘッドから得た映像を、フィールド切換回路を介して左右交互に出力し、再生信号は液晶眼鏡と、この眼鏡を駆動する専用アダプタを用いて同期させ、家庭のカラー受像機で立体感のある映像が楽しめる。年代:1987年


世界最大級の光トリガサイリスタ  SL2500JX21

光トリガサイリスタは、発光ダイオード(LED)でトリガできるサイリスタで、電気でトリガする従来のサイリスタに比べ、機器の小型化や部品点数の削減で信頼性も向上する。この光信号で点孤する光トリガサイリスタは直流送電用変換装置、無効電力補償装置などに使用される。当社は、1988年(昭和63)に電気絶縁性、耐ノイズ性、信頼性の高い2,500A 6,000Vの光トリガサイリスタを開発した。世界最大級の6,000Vの高耐圧があり、低損失化と高い光トリガ感度および高過電流耐量を実現した。年代:1988年


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