「東芝未来科学館」 に対する検索結果 : 100

情報所有館 : 東芝未来科学館 

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東芝オープンリール式テープレコーダー 普及型一号機 GT-31形

1959年(昭和34)ごろまでのテープレコーダーは高価のものというのが通念であった。それを打破して、当時わが国で最低の価格(2万円以下)で、誰でも買える製品によってテープレコーダーの普及を期して、同年12月に発売されたのがGT-31形であった。これには設計その他に非常な苦心がはらわれており、特に子供にも容易に操作できるプッシュボタン方式を採用し、3号リール専用の小形のもので、テープレコーダー業界をはじめ一般の注目を集めた。年代:1959年


日本最大のマンモス電球 50kW

当社で白熱電球が作られてから70周年に当たる1960年(昭和35)を記念して、日本最大の電球の製作が企画された。当時、天然色映画の全盛期で、映画スタジオでは撮影用照明光源に、大型の照明を必要としており、当社はバイポスト形30kW電球やソーラスポット用20kW電球の製品化に成功している。今回のマンモス電球も、50kW電球としての機能を完全に発揮し、巨大な特殊照明用として実用に適し得るものを1959年(昭和33)に完成し、東芝科学館に納品した。年代:1959年


日本初の業務用電子レンジ DO-2273

当社は1956年(昭和31)に電子レンジの研究を開始し、1959年(昭和34)に国産第一号機を完成、翌1960年(昭和35)に開かれた大阪国際見本市に出品して注目を集めた。そして1961年(昭和36)に発売した市販第一号機は、汎用電子レンジのデビューとなった。1962年(昭和37)には国鉄の食堂車に採用され、1964年(昭和39)の新幹線開業ではビュッフェで暖かい本格的な料理を提供するというユーザコンシャスな活躍を続けた。年代:1959年


トランジスタラジオ輸出モデル 8TL-463S

1960年(昭和35)に発売された8石+2ダイオードの2バンドスーパーセットで、国内向けおよび輸出向けとして量産された。感度切換回路によって放送を受信する場所に応じて最良の条件で動作させることができる。最初の機種6TR-127以来の伝統である当社独特の美しいレザーキャビネットを用いている。スピーカは新設計9cmPD を使用し、低周波回路に新しく高能率回路を採用して、大形ラジオと同様な電気的性能を持っている。年代:1960年


世界初のクールレイランプ

映画やテレビのスタジオは非常な高照明を必要とするので、光と共に出る放射熱で非常に暑い。当社は、この問題を解決するためにシールドビームのアルミニューム反射鏡の代わりに、光を反射しても熱線を反射しないコールドミラーをつけたクールレイランプを1960年(昭和35)に開発した。定格は100V、250Wで、アルミ反射鏡のものに比べて熱線照度は1/3に減少している。高照度を必要とするテレビ撮影、映画撮影などのほか、ボクシング会場、国技館土俵の照明に使われた。年代:1960年


東芝ポータブルテープレコーダ輸出品第一号 GT-32P

テープレコーダの重要な特許であった交流バイアス方式の特許期限が満了となり、業界全般に大きな利益をもたらした。この特許は磁気録音の音質向上に非常に役立ち、わが国で発明された優れたものであった。GT-31など普及形がそろったので、つぎには特殊用途のものが企画され、ポータブルテープレコーダで、乾電池を電源とし、増幅器を全トランジスタ化し、携帯したまま録音・再生できる超小形のGT-32Pが1960年(昭和35)4月に発売された。これはテープレコーダの輸出品第一号である。年代:1960年


日本初のカラーテレビ受像機 D-21WE

当社はカラーテレビの基礎研究を1950年(昭和25)に着手し、1957年(昭和32)に国産初の21形力ラーテレビ受像機を試作公開した。当時は受像管をはじめ十数点の部品を米国からの輸入に依存していたが、研究を進めるにつれて順次国産化し、1959年(昭和34)に17形角形受像管使用の純国産化カラー受像機を完成して国際見本市に出品した。1960年(昭和35)にはカラー本放送が開始され、家庭用の17形、営業用の豪華21形の両機種を量産した。年代:1960年


国産1号電動加算器 BCー4001

1955年(昭和30)に電動加算器の開発に着手し、1956年(昭和31)に試作機を完成したが、同時に完成した金銭登録機を優先させることになり、一時開発を中断した。1958年(昭和33)末に再開し、翌1959年(昭和34)に量産試作機10台を完成し、社内において1年間の実用試験を行い、1960年(昭和35)末から本格的生産に移り、翌1961年(昭和36)1月に国産最初の電動加算器BC-4001を発売した。キーボードはテンキー式を採用しているため習熟すればキーボード面を見ないでも操作できる。年代:1961年


日本初のカラーテレビ用イメージオルシコン 7513

この頃、設備の充実と各種の改良によって、イメージオルシコン5820の生産数は急激に増加し、品質も著しく向上した。さらに、カラーテレビ本放送に対処して、1961年(昭和36)に日本初のカラーテレビ用イメージオルシコン7513を完成した。これはフィールドメッシュを入れ、ターゲットとメッシュの間隔を狭くし、かつ部品材料に細心の注意を払って組み立てられており、カラー用として3本1組で使用するとき、優れた性能を発揮する。RCA製7513と差替え可能で、白黒用としても使用できる。年代:1961年


日本初のマイクロプログラム方式計算機 KTパイロット

1961年(昭和36)に京都大学と共同でマイクロプログラム方式計算機の開発をテーマに取り組み、完成させたパイロット計算機である。京都大学の頭文字“K”と東芝の“T”を組み合わせて“KTパイロット計算機”と名前が付けられた。この計算機には、記憶装置として国産で初めて薄膜記憶装置を実装している。また、新規に開発したシリコンのメサ型トランジスタを採用した高速度基本回路を用い、並列非同期式高速演算方式を採用している。年代:1961年


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