「東芝未来科学館」 に対する検索結果 : 100

情報所有館 : 東芝未来科学館 

(1-10/100)    次の10件

日本初の白熱電球

藤岡市助(当社の創業者)は、1884年(明治17)に渡米してエジソンが発明した白熱電球の製造工程をくわしく見学し、国産電球製造を深く心に期した。1890年(明治23)に白熱電球の製造販売を目的として、「白熱舎」(当社の前身)を京橋槍屋町に設立した。社長には同郷(現:山口県岩国市)の三吉正一が就任した。最初は木綿糸でフィラメントを作ったが、エジソンが日本の竹を用いたと聞き、竹フィラメントの白熱電球を日本で初めて製造した。年代:1890年


日本初の電気扇風機

電気扇風機が日本に初めて輸入されたのは1893年(明治26)である。翌1894年(明治27)に芝浦製作所(当社の前身)は、直流エジソン式電動機の頭部に電球をつけた国産第一号の電気扇風機を製造した。白熱電球が登場して間もないころに、スイッチ操作一つで、頭部に電灯がともり、同時に風が出る扇風機は、真っ黒で分厚い金属の羽をつけた頑丈なものだった。年代:1894年


電気ストーブ C-7441

芝浦製作所(当社の前身)が暖房用電熱器をはじめて製作したのは、台所用電熱器と同じころの1915年(大正4)で、ストーブや電球を利用した湿潤器がその初製品である。このころのストーブは発熱体として、ニクロム線ボビン式や熱板式が使われ、対流式のものが大部分であった。また、外観も鋳鉄を使って美術的につくられ、高級装飾品として室内に調和するよう洋風および和風趣味を盛り込んだ豪華なものが多かった。年代:1915年


日本初のギバX線管

東京電気(当社の前身)がX線管の研究に着手したのは1914年(大正3)のことで、当時第一次世界大戦が勃発してドイツからの輸入が途絶えた為である。その頃、実験室(後のマツダ研究所)では真空管の特殊材料の研究が成果をあげており、電球製造用の排気設備や熟練した製造技術もあり、1915年(大正4)に国産初のX線管を完成し、ギバX線管と命名した。ギバとは釈迦の弟子で名医と名高かったギバ尊者から名づけられている。年代:1915年


日本初の単相積算電力計 I-14形

1907年(明治40)頃から家庭用電灯が急速に普及し、点灯料金の公平を期すため、定額料金制から従量料金制への変更が促進され、1910年(明治43)には電気測定法が公布された。当時、まだ国産の積算電力計はなく、米国GE社などの輸入品に頼っていた。そこで東京電気(当社の前身)は、電球で技術提携をしていたGE社から積算電力計の技術導入を行い、1915年(大正4)に国産初の単相2線式積算電力計(I-14形)の型式承認を得た。年代:1915年


三相積算電力計 D-6形

日本初の単相積算電力計(I-14)は、GE社の設計によるものであり、また大部分の部品もGE社から輸入していたことから、GE社と同じ形名で1915(大正4)に製造・販売することになった。翌年の1916年(大正5)には三相積算電力計(D-6)が型式承認され、これもGE社の設計であった。以来、当社の単相積算電力計の形名に“I”を、三相積算電力計に“D”を用いているのは、こうした経緯があったからである。年代:1916年


日本初の三極真空管(オージオンバルブ)

東京電気(当社の前身)は、1916年(大正5)に日本初の三極真空管(オージオンバルブ)を完成した。これは米国のド・フォーレが実用的な三極真空管を完成してから10年目である。その後、UF101、UF102などの生産が始まり、1923年(大正12)の関東大震災の打撃を克服して完成したUV-199は、初めてトリタンを陰極とした本格的な真空管で、翌1924年(大正13)に始まったラジオ放送の受信用主力管となり、同年末には月産1万本に達したと記録されている。年代:1916年


現存する日本最古の特別高圧油入開閉器

日本で最初の高圧開閉器は、接点を油の中で開閉する油入開閉器で、輸入品が採用されていた。明治後期、芝浦製作所(当社の前身)が米国GE社から技術を導入し、高圧油入開閉器を日本で最初に国産化した。現存する最古の図面は、1902年(明治35)製図の品川電燈向け油入開閉器に遡る。写真は、現存する最古の特別高圧油入開閉器で、1917年(大正6)に王子製紙(株)苫小牧工場第1変電所に納入された3相E-2形油入開閉器の1相分である。年代:1917年


日本初のクーリッジX線管

東京電気(当社の前身)の実験室に於いて日本初のギバX線管の完成に先立つこと2年、即ち1913年(大正2)に米国でクーリッジX線管が発明された。早速、当社の研究所に於いてこのクーリッジX線管の材料の自給と製作方法の研究に着手し、遂に1920年(大正9)にU型クーリッジX線管の製作に成功した。続いて1921年(大正10)にS型、1924年(大正13)に深部治療用H型、翌1925年(大正14)にR型、及び分析用水冷式三型を相次いで完成した。年代:1920年


世界初の二重コイル電球

米国GE社のラングミュア博士によるガス入り電球の発明で、タングステン電球の寿命を延ばすことが可能になった。窒素やアルゴンなど不活性ガスがタングステン線の表面を包み、線の直径が太いほどガス損失が少ないことが発見され、直線をコイルに巻き有効直径を太くするコイル状タングステン線が考案された。1921年(大正10)に東京電気(当社の前身)の三浦純一技師は、従来の単一コイルをもう一度コイル化した二重コイル電球を世界で初めて試作した。年代:1921年


(1-10/100)    次の10件