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情報所有館 : 電気の史料館(休館中) 

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アイゼン

戦前、冬の山岳地で送電線を巡視する際に、凍結した道を歩行するために使用した。戦後、エッジ付きスキー板が登場して使われなくなった。足に装着して、爪を凍結面に突き刺し、滑ることを防止したものである。雪国では、金かんじきと称して一般のかんじきスキーと急峻な凍結板で併用していた。その後、もっぱら春のゼンマイ取りに便利に使っており、靴にしっかり固縛しないで抜けて転落しそうになったことが度々あった。雪上巡視歩行時滑り止め 送電線、建設・保守用具


かんじき

おもに大正時代、雪の多い地域で送電線を巡視する際に、雪上を歩行するために使用した。昭和に入りスキーが普及すると、あまり使われなくなった。 中央の縄間に足先端を差し入れ、ひもでかかと後ろに引っかける。 歩行時にかかとがカンジキより少し上がる程度に装着するのがコツである 大正時代後期の冬季送電線路巡視に活用された。 かんじきを履いての歩行には、コツがあり慣れる迄には、歩行中に転がり、全身ずぶ濡れになりずいぶん苦労をして巡視を行い、先輩方から早く来いと怒鳴られた。昭和に入りスキーの普及で使用頻度は激減したが、かんじきを見ると、必死に先輩方の後を追いかけたことを思い出す。 歩行補助具,雪上歩行用滑止,アイゼン、建設・保守用具


送電鉄塔番号札 東力 (田代川送電線 No.37)

鉄塔No.表示 送電線、鉄塔、番号札


乗出し棒

碍子連に乗出し、作業する場合の足場。先端フックを電線にかけ、手前を腕金アングルに縛り付けて使用した。この史料は、戦前から昭和30年代にかけて使われたもの。現在はアルミ製梯子になっている。がいし交換や電線補修・緊線作業に使用した工具である。初めて棒の上へ乗り出してた時などは、ぐらぐら揺れ、先に行くほど撓み、このまま折れてしまうのではないかと冷や汗ものだった。諸先輩方から「もっと痩せろ・これ以上太るな」などと冗談めいたことをよく言われた。碍子取替等の鉄塔アーム乗り出し.鉄塔、架線工具、吊架作業、送電線,建設・保守用具


低圧ピン碍子

・腕木に取り付け、低圧電線を支持するとともに絶縁を確保する。 ・S20年ころ ・内線、碍子、昭和初期、材料


曲捻込碍子

・使用目的・方法:引込線支持用 引込線用の碍子で、小柱の電線の支持、分岐、家側支持点等、広い範囲に使用された ・昭和24~25年頃ものと推定される ・白色 ・碍子、絶縁、引込線、昭和初期


箱根水力電気会社(神奈川県) 独立電話線電柱番号札

1911(明治44)年に法律で通信設備の設置を義務付けられてから、各電気会社は自前の通信線を布設した。これは、そのことを示す当時の史料で、通信専用の電柱に付けられた標識である。箱根にあった古い木柱についていたもの 箱根独立電話線 一三二 大正12年 上部に東京電力のマークあり (従って、設置されたのは、昭和26年以降と考えられるが不明)


干渉型ガス検知器

マンホール内ガスの有無を調べるための測定器。ガスの種類や濃度で光の屈折率が異なることを利用している。まずこの測定器でガスの有無を調べ、あった場合は比色式ガス検知器や可燃性ガス検知器でガスの種類と濃度の測定をした。 ・ガスの種類と濃度によりこれを通過する光の速度(屈折率)が異なること、すなわち光の干渉を利用して光学装置の中に吸収したガスによって生ずる干渉縞の移動する割合によりガスの含有率を検知するもので、主としてメタンガス、炭酸ガス等の測定に使用した。( ~昭和50年代) 一酸化炭素、硫化水素等の含有も検知できることから、先ずこの検知器でマンホール内のガスの有無を確認し、比色型ガス検知器や可燃性型ガス検知器でガス濃度・量の測定を行った。 ・明るい場所での測定は検知器自体の光が弱く、0点調整・測定値の読み取りに苦慮し測定を数回繰り返すことがあった。 別称新光式ガス検知器とも呼ばれた。 SHINKO GAS DETECTOR TYPE6 器械番号6742 東検第219号 皮のケース入り(携帯用のようである) マンホール内のガス点検作業の際使用 測定器、ガス


昭和初期の配電箱

文化塔で低圧に変圧された電力は、地中低圧幹線を通じて道路脇などに設置された「配電箱」へ送られ、ここで数回線の低圧配線に分岐されて各需要家へ送られた。東京市電時代の低圧配電塔。使用されていた場所:豊島区巣鴨。重量は約80~100kg。扉が開閉する。


ピースジョイント用トーチランプ

ピースジョイントに抜け止めとしてハンダを注入する際にハンダを溶かしたり、ジョイント本体をあたためるのに使用したもの。 なお、ジョイントを解体するときにジョイント全体を熱して内部ハンダを溶かす場合にも使用する。 構造的には市販されているトーチランプと同じものである。 <使用期間:昭和30年代前半~昭和40年代頃> 私が入社した昭和38年には、当時の保線区(以降送電所→工務所,電力所)にはトーチランプがあり、送電作業には直接使用したことはないが工具の手入れなどに使用した。 使用開始するまでの準備が大変で燃料は底の蝶ネジを外した穴より入れ、後部のポンプにて燃料タンク内に空気を入れタンク内に圧力をかける。 ポンプ上のバルブを緩めるとタンク内のガソリンが上部のノズル先より出るが、ノズルを熱していないと火を付けても赤い炎となり、炎の温度が低くそのままでは使用できない。温度を上げるためには、火を付ける前にノズル先端から出るガソリンをノズル下の受け皿にため、受け皿に火を付け燃える炎でノズルを熱する。ノズルが十分熱せられたところでバルブを緩めるとノズル先端から青い高温の炎が勢いよく吹き出し使用可能となる。使用するには、受け皿の炎を消し、後ろポンプを取っ手として持ち使用することとなる。 このように準備が大変で、準備途中で受け皿のガソリンが漏れトーチランプ全体が炎に包まれ、先輩に怒られながら慌てて消したことも何回かあった。 半田、加熱工具、地中線工事、圧縮ポンプ,建設・保守用具


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