「JX金属グループ 日鉱記念館」 に対する検索結果 : 18件
情報所有館 : JX金属グループ 日鉱記念館
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1907年、日立鉱山は、金属鉱山の探鉱(鉱脈を探すための試し掘り)で初めてダイヤモンド試錐機を本格的に採用しました。先端部に固いダイヤモンド粒を使用し、地中深く掘削して、地下の様子を調べました。このダイヤモンド試錐機の導入により次々と新しい鉱脈が発見され、開業時100万トンと見込まれていた鉱石の埋蔵量は、その後の数年で700万トンまで増加するなど、日立鉱山の発展に道筋をつけました。
煙害が激化し始めた1909年、亜硫酸ガスが農作物や森林に与える影響に関するデータの収集と農事の改良を目的に作られました。農作物や樹木をこの中に入れ、一定の時間、所定の濃度の亜硫酸ガスに接触させてデータを収集しました。
国内外の鉱山で採掘された様々な種類の鉱石標本600個以上を展示しています。
削岩機(さくがんき)をはじめとする機械類の動力源は、空気圧縮機(コンプレッサー)により作られます。本機は1918年の設置以来、日立鉱山の閉山まで稼働しました。当時の購入価格は、本体2万9,178円、電動機(日立製作所製)1万2,162円との記録があります。
159台の削岩機(さくがんき)を展示しています。これほど多くの削岩機を集めた展示は世界でも珍しいです。日立鉱山では当初海外から輸入した削岩機を用いていましたが、海外製のものは形が大きくて重く、小柄な日本人の体形には合わなかったことから、後に小型で性能の劣らないものを独自に製作するようになりました。当館ではその変遷をご覧いただくことができます。
この上皿天秤は1914年から50年間に亘り使用されました。秤量範囲は0.05g~50kg。このように秤量範囲が広く大型で、かつ精度の高い天秤は茨城県内に2台しかなく、希少なものでした。
竪坑とは、従業員や鉱石を運搬するために地面と垂直に掘られた坑道のこと。ケージと呼ばれる乗り物に人や物を載せ、巻揚機を使ってロープを上げ下げすることにより昇降を行いました。1906年から1981年の閉山まで75年間、鉱山の大動脈として活躍しました。
第一竪坑内のケージの昇降のための設備で1929年に完成し、1981年の閉山まで稼働していました。中央のドラムを回転させることにより、ワイヤーの先につながったケージの上げ下げを行いました。本設備は使用されていた当時のままの姿で保存されており、このような状態で残っているのは全国でも本館だけです。
第十一竪坑で使われていた、巻揚機のギヤーおよび深度計を展示しています。
日立鉱山開業当時、創業者・久原房之助が居住し、幹部たちと労苦をともにした場所です。公害問題解決のために大煙突の建設を決意したのも、この本部の一室でのことでした。現在は茨城県文化財に指定されています。(茨城県文化財(産業史跡第1号)指定)
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