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情報所有館 : 燕市産業史料館
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知られているかぎりでは、現存する鎚起銅器の中で最も古いものです。本体から張り出したつばは、単なるデザインではなく、かまどにやかんをかけるときに下に落ちないよう本体を引っかけるという役割を果たしています。 年代:江戸後期
鎚起銅器は当初は日用雑器としてつくられましたが、日本が初めて参加したウィーン万博において玉川堂も出品し、覚次郎の時代には鎚起銅器は美術工芸品としてもつくられるようになりました。これはそのころつくられた純銀の作品です。 年代:明治初期
見事な装飾が見られ、正面には南画のような図案、背面には文字があります。この装飾はタガネと松ヤニを使わずに、鳥口の上で叩いて打ち出すことによってほどこされています。 年代:明治期
銅・金・赤銅が使われた作品で、正面には烏、背面には鷺の装飾がみられます。花鳥風月が描き出された優美な作品ということから、海外向けに制作されたものであるということがわかります。 年代:1890(明治23)年
この作品には奈良の正倉院の瓦をイメージした象嵌がみられます。間瀬銅山の銅の色を特徴づける緋色の銅器に金や銀の象嵌が映え、鎚起銅器の美が集約された作品といえます。 年代:1921(大正10)年
この作品は口打出(くちうちだし)という、やかんの本体をつくるときに1枚の銅板から注ぎ口も一緒につくる技法によって製作されています。この技法は昭和初期に開発され、その難易度の高さから、熟練の職人であることを表す証とされました。また、本体は銀に銅がかぶさっており、二重構造になっています。花びら模様の透かしにより、下地の銀が見えたりと、その他高度な技がふんだんに使われた作品です。 年代:1930(昭和5)年
実際に鎚起銅器工房で使用されていた道具を用いて、作業場の復元をしています。火を扱う場所や金鎚を扱う場所、着色を行う場所など、本来工房ではここまで隣接していませんが、当館展示では便宜上、同じ空間内におさめています。その中には、以下をはじめとした道具があります。火戸(ほど):焼き鈍しの際にコークスを燃やして使用。 鳥口(とりぐち):打ち絞りの際に上がり盤にかけ、先端に製作物を引っかけて叩くための道具。 上がり盤:ケヤキの塊に鳥口をかけるための穴が複数あいている。打ち絞りの際に腰かけたり、あぐらをかいたりして台に上がって使用する。
煙管職人が実際に使用していた道具を用いて復元しています。その他参考までに、機械での煙管製造で必要な吸口型などの金型も一緒に展示しています。その中には、以下をはじめとした道具があります。金台(かなだい):煙管の金属部分の丸みをつくるための道具。 心金(しんがね):金属部分をはめて打つための棒。 トビ口(とびぐち):小口(羅宇を入れる穴)に丸みをつけて仕上げるための道具。 キサゲ:ヤスリで仕上げた後に細部を整えるための道具。
燕市の彫金師であった広田広山(ひろたこうざん)が実際に彫金を行っていた作業場をもとに復元しています。ここでは主に工芸彫金の道具を紹介していますが、金型彫金や刻印も同じく彫金師の技術によるものであることから、それらの道具も展示しています。その中には、以下をはじめとした道具があります。タガネ:彫金の工程で切ったり押したりすることで金属に模様を入れるための道具。 オタフク鎚:頭の部分が小さい金鎚で、タガネを打つときに使用する。 松ヤニ・ヤニ台:松ヤニを熱してやわらかくして台にし、クッション材にする。 ピッチボール:金型の原型を彫るときに金型がずれないように固定する台。
小判形という名称ですが、いわゆる刀豆(なたまめ)煙管のことで、平たく薄い形をしているため、着物の帯にはさむことができます。胴に赤銅と銀による市松模様が張分(はりわけ)によってほどこされています。 年代:1982(昭和57)年
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