「海洋文化館」 に対する検索結果 : 17件
情報所有館 : 海洋文化館
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ポリネシア タヒチ島のダブルカヌー。1975年の沖縄国際海洋博覧会当時の資料です。この華やかに装飾されたダブルカヌーは、昔タヒチ島のさまざまな儀式に使われたカヌーを実物通りに復元したものです。復元はハワイのビショップ博物館の篠遠喜彦博士のご協力により、オセアニアの古代カヌーの専門家であり、優れた芸術家であるハーバート・カネ氏がデザインしました。これをタヒチ島の夕ウティラ村の人々の手で建造したものです。この儀礼用ダブルカヌーは、船首と船尾に装飾用の像がつけられ、デッキには小さな神殿が建てられていました。船首と船尾の像は、初期のヨーロッパ人来訪者のスケッチをもとに復元しました。
1975年の沖縄国際海洋博覧会当時の資料です。フィリピン南方スール一諸島を航海する、“レパ”と呼ばれる家船で、パジャウ人の住居であり、生業そのものの道具でもあります。夜は寝床、朝は食堂、昼は仕事場になります。船体はすっきりと突き出た船首と船べりを持ち、屋根はニッパヤシで作られています。アウトリガーも舷側もないので船が軽くなり、手漕ぎや帆走にすばらしい性能をも っています。収集当時はすでに船外機を取りつけたものが多くみられました。この“レパ”はフィリピン国立博物館の協力により、スール一諸島のシタンカイ島より贈られたもので、1975年の春まで漁師の一家が居住し、漁撈をいとなんでいました。
バリ島で漁労に使われるダブルアウトリガー式のカヌー漁船です。船首は動物が口を開けたように二股になり、船尾は尾を表すように反り返っています。腕木は結縛される船体から大きく上に湾曲し、それに下に湾曲する添え木が結合されて竹で造られた浮き木に結縛されています。浮き木は先端が尖らされており、船尾、左舷側に舵がつき、帆は船首に近いところの横梁の穴に挿入された短いマストに三角帆が上桁の紐でぶら下がる構造になっています。マストは固定式でカロリン型のマストのように可動しません。2002年に建造したものを2013年に修復、収集しました。
パプアニューギニア・ビスマルク諸島のワトム島のシングルアウトリガーカヌーで、1975年沖縄国際海洋博覧会当時の資料です。腕木は自然に二股に分かれた枝を使い、二股の部分を縦にして、浮き木からまっすぐ伸びた、スペード型の二枚の支柱(ペグ)で挟むようにして装着しています。船体は白く塗られ、反り返るような船首と船尾材が船体に結合されています。とくに独特の船首の形態はカブトムシの角を模したと言われています。
サモア ウポル島の漁撈用のシングルアウトリガーカヌーで、1975年の沖縄国際海洋博覧会当時の資料です。西サモアの漁村で使用されていたパドリングカヌーです。1~2名乗りで島の沿岸やリーフ内で1つのパドルでこぎながら漁を行います。海のおだやかな日にはリーフの外に出て外海での漁にも使われました。船体は、船首が内側に反りながら鋭く尖り、船尾はなだらかなカーブを描き先端が切り落とされたような形をしています。船首と船尾の上にはしばしば鋸歯状の装飾つくのがサモアのカヌーの特徴の一つで、このカヌーには船首上に帯状の突起があります。このカヌーは1970年代にすべて手作業で作られました。
バヌアツ ペンテコスト島のシングルアウトリガーカヌーで、1975年の沖縄国際海洋博覧会当時の資料です。1950年頃に建造され、ペンテコスト島北部の漁村で70年代まで使用されていた交易用カヌーです。木をくり抜いた実用的なカヌーで、目的地が比較的近いせいか帆はつけていません。当時は4人以上の村人が乗って漕ぎ、竹の板の下には交易品の豚を入れ、その上にバスケットなどを置いたといいます。この種の伝統的な丸木船はペンテコスト北部には収集当時すでに4隻しかなく、完全に 原型を保っているのはこの1隻だけでした。アウトリガーや竹の板の結び方を知っている村人もわずかでした。
タタラ舟は、台湾南西沖にある蘭嶼(ランユウ)島に居住するタオ(ヤミ)族の個人漁労用カヌーで、主にトビウオ漁で使われています。舟の構造は、船底、船首、船尾3本の竜骨を含めて、合計21枚の板を組み合わせて作られており、使われた材料は、全て島に自生する木材を使用しています。板の接着には島の桑の木を使った釘で固定しています。 船体は、赤・白・黒の顔料で彩色されいます。船首、船尾には、モロンと呼ばれる鶏の羽をあしらった装飾がなされており、 彫刻は各集落においてデザインが決まっており、どの集落所属の舟なのか一目で分かるようになっています。本資料は、東清集落の伝統的なデザインです。
パプアニューギニア東セピック州シューテン諸島のシングルアウトリガーカヌーで、1975年の沖縄国際海洋博覧会当時の資料です。シューテン諸島の人々は、こうしたカヌーでニュ一ギニア本土と交易をしたり、子どもたちは学校に通学していました。船には水よけの板と帆がつくようになっていますが、主にパドルで漕ぎます。船体は内湾し、乗り手はカヌーにまたがるようにして乗ります。このカヌーは船体の舳先とスキー板状の薄い浮き木の先端がともに鰐のような彫刻が施され、船体にも特有の螺旋模様が彫刻や魚のような模様など芸術性の高い様々な模様が施されています。
パプアニューギニア・セピック川流域のカヌーで、1975年の沖縄国際海洋博覧会当時の資料です。漁業ばかりでなく、川の上流と海岸沿いの間で、交易にも使われました。河川で使用されるカヌーでは一般的なアウトリガーを持たない細長い船体をしています。カヌーの長さは、通常5~6メ 一トル程ですが、30メートル程の長さのものもあります。船首にはそれぞれの部族を表す彫像が取りつけられており、このカヌーにはワニの彫像が取りつけられています。船外エンジンがセピック河地域にもたらされたのは、第二次世界大戦後のことである。船尾の割れ目はこの船外エンジンを取り付けるためのものです。
カロリン諸島のポロワット島で2013年に製作され、島からグアム島まで約800キロを5日間かけて実際に航海を行いました。材料は島で採れる樹木・植物のみを使用し、船体の船底部や舷側板はすべてパンノ木を使用し、部材はすべてココヤシの実の繊維を撚った紐で結縛されました。帆は伝統的なパンダナスから作られ、船名のリエン・ポロワットとはポロワットの美しい女性を意味し、帆作りなどに貢献した女性たちを称えています。島の首長テオ・オノペイ氏ら8人の島民が航海を成し遂げ、その後解体して輸送し本船を館内で再組み立てました。カロリン型航海カヌーの特徴である前後同型であるが、アウトリガー側が若干膨らんでいます。
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