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情報所有館 : 首里染織館suikara 

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紅型衣装1 松皮菱菊藤菊流水菖蒲文様紅型木綿袷衣装の再現品

2021年の那覇市市制100周年記念事業の一つとして、沖縄を代表する伝統工芸品である琉球びんがたの魅力を発信するため、踊り衣装の歴史的銘品である松皮菱菊藤菊流水菖蒲文様(まつかわびしきくふじぎくりゅうすいしょうぶもんよう)紅型木綿袷衣装(那覇市歴史博物館収蔵品)を琉球びんがた事業協同組合の手で再現したもの。琉球びんがた事業協同組合所蔵。2021年制作


紅型衣装2 黄色地鳳凰瑞雲霞文様紅型紋紗衣装の再現品

2021年の那覇市市制100周年記念事業の一つとして、沖縄を代表する伝統工芸品である琉球びんがたの魅力を発信するため、踊り衣装の歴史的銘品である黄色地鳳凰瑞雲霞文様(きいろじほうおうずいうんかすみもんよう)紅型紋紗衣装(那覇市歴史博物館収蔵品)を琉球びんがた事業協同組合の手で再現したもの。琉球びんがた事業協同組合所蔵。2021年制作


紅型 型紙(糸掛け) 

城間栄喜氏に弟子入りし、戦後の紅型復興に取り組んだ職人の一人である大城貞成氏が1950年代に作成したと伝わる型紙。琉球王朝時代から受け継がれる古い技法である「糸掛け」で、柿渋を塗った和紙の型紙を絹糸で固定している。戦後は網状の布を型紙の上から貼り付ける紗張り(しゃばり)が主流となり、現在もこの技法を継承しているのは知念紅型工房(上儀保知念家)のみ。染めさくはら/照屋和子氏所蔵。


紅型 染め試作見本

紅型三宗家の一つである知念家の次男筋にあたる上儀保知念家第五代目の知念績弘氏が1960年~1970年代にかけて作成した染め見本のはぎれ。廃琉置県、沖縄戦という二つの危機を乗り越え、紅型の技術を継承してきた上儀保知念家で、特に戦後の紅型復興に力を尽くした職人の一人である知念績弘氏の功績は大きく、その仕事ぶりを伝える貴重な資料となっている。知念紅型工房所蔵。


首里織衣装1 紫地段鋸歯繋文様花織着物(むらさきじだんきょしつなぎもんようはなおりきもの)の再現品

2013年度那覇市による、琉球王府首里織再現支援事業において、那覇伝統織物事業協同組合が模倣再現したうちの1点。最後の琉球国王である尚泰王が着用したと考えられる「紫地段鋸歯繋文様花織平絹袷衣装」(那覇市歴史博物館収蔵品)の織りを模倣再現し、和装に仮仕立てをしたもの。那覇伝統織物事業協同組合所蔵。2013年制作。


首里織衣装2 桐板(とぅんびゃん)

現在では幻の織物とされる桐板(トゥンバンともいう)。原材料は苧麻、糸芭蕉、リュウゼツランの三つの説があり、琉球王国時代は功績のあった家臣に国王が褒美として与えた記録が残っている。本衣裳は昭和初期の桐板と伝わるもので、独特の透明感があり、琉球特有の着物の仕立て(琉装)となっている。1935年頃までは首里でも織られていたが、戦後は姿を消した。幸喜つね子氏寄贈・那覇伝統織物事業協同組合所蔵。


首里織衣装3 黄地ムルドゥッチリ衣裳

ムルドゥッチリ(諸取切)は経緯の総絣という意味で、首里織に伝わる技法の一つ。首里王府の貝摺奉行所勤務の絵師がテキスタイルデザインをした「御絵図(みえず)」を参考に、首里で再現した衣裳。黄色地は王族が着用する色とされ、大きい絣柄は「御殿内柄(うどぅんがら)」と呼ばれ首里士族の中でも上流階級のみ着用が許されていた。琉装仕立て。那覇伝統織物事業協同組合所蔵。


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