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情報所有館 : 吉田富三記念館 

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ラットに発生した吉田肉腫

吉田肉腫はしろねずみ(ラット)の腹水がんである。1943(昭和18)年に長崎医科大学で腹水がんを発見した。腹腔内にたまっているネズミの腹水をみるとがん細胞が浮遊して増殖していた。画像左のラットが腹水肝がんAH-130であり、画像右のラットが移植した腹水肝がんAH108である。


がん細胞のスケッチ

吉田博士が顕微鏡を覗いて描いた腹水肝がんAH100Bのスケッチである。1950年から吉田肉腫のほか悪性腫瘍の染色体の研究を開始。当時、顕微鏡内の映像を写真に残すことは難しくスケッチにより研究成果を保存していった。


吉田肉腫が染色された研究用プレパラート

吉田肉腫の観察にはギムザ染色はじめ各種の染色法が用いられた。プレパラートで赤く染色されたものが吉田肉腫である。1962年9月5日検査依頼を受け、富三が見た病理組織標本。


肝細胞がんに使用した化学物質

吉田博士はオルト・アミドアツォトルオール(アゾ化合物)を経口投与し、1934(昭和2)年に世界で初めて経口投与による人工的な肝がんを生成させた。


顕微鏡

吉田富三博士が研究に使用したものと同型の顕微鏡である。千代田光学製。(吉田富三博士が実際に使用した顕微鏡は消失してしまった)


凍結器具

1959年、佐々木研究所で腫瘍細胞の冷凍保存を始める。がん細胞浮遊液を凍結保護剤と混合して-196℃の液体窒素の中で凍結保存する際の器具である。(1984年癌細胞保存施設が東北大学抗酸菌病研究所(現、加齢医学研究所)に設置された。)


8ミリ映写機とフィルム

吉田富三博士が1953年文部在外研究員として2年間のドイツ留学を命ぜられた際に買い求めたコダックの8ミリ映写機とフイルム。プラウベル・マキナー製のカメラ。


勲一等旭日大授章

吉田富三博士は197(昭和48)年4月28日に死去した。70歳であった。この勲章は博士のこれまでの功績を称え、死亡の翌日に授与された勲一等旭日大授章である。


文化勲章

1959(昭和34)年に文化勲章を受章した。56歳というのは歴代受賞者の中でも若いのだが、当時のマスコミは、「まだ若いという理由で5~6年前から吉田の受賞はお預けだっだ。やっと順番になった。」と選考委員をからかった。これに対し富三は、「全く良き師に就くことができたおかげです。それに同輩、後進に恵まれた。」と誠に謙虚な感想を語った。良き師とは佐々木研究所長、佐々木隆興博士のことで富三は終生博士を敬愛してやまなかった。


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