「京都鉄道博物館」 に対する検索結果 : 49

情報所有館 : 京都鉄道博物館 

(1-10/49)    次の10件

7100形1705号機 蒸気機関車

北海道の幌内鉄道が1880(明治13)年より8両をアメリカから輸入した蒸気機関車。6両には「義経」「弁慶」「比羅夫」「光圀」「しづか」と歴史上の人物の名がつけられた。導入時は形式の区分はなく、1906(明治39)年の国有化時に7100形となった。当館保存の「義経」は1925(大正14)年に払い下げられ、サドルタンク式機関車に改造されましたが、1952(昭和27)年に鷹取工場で復元され、1991(平成3)年に、当館の前身である交通科学博物館に動態保存された。


1800形1801号機 蒸気機関車

1881(明治14)年にイギリスから8両輸入されたタンク機関車。先軸、従輪のない動軸3軸のみで、京都ー大津、長浜ー敦賀・関ヶ原の勾配区間で活躍した。1801号機は1930(昭和5)年に高知鉄道(現・土佐電気鉄道)に払い下げられた後、東洋レーヨン滋賀工場を経て1964(昭和39)年に復元され、当館の前身である交通科学博物館に保存された。


1070形1080号機 蒸気機関車

幹線旅客用としてイギリスから輸入された6200形・6270形を、大正末期から昭和初期にかけて支線や入換用としてタンク式に改造して誕生した蒸気機関車。美濃太田機関区で活躍後、1939(昭和14)年には日鉄鉱業に払い下げられ、1979(昭和54)年まで鉱石輸送に使用された後に同所で保存されていたが、2009(平成21)年、当館の前身である梅小路蒸気機関車館に譲渡された。


230形233号機 蒸気機関車

230形は1902(明治35)年から41量が製造されたタンク式蒸気機関車。1930年代から順次廃車が進んだが、233号機は奇跡的に入選機として1959(昭和34)年まで現役で使用され、1962(昭和37)年、当館の前身である交通科学博物館に復元保存された。2016(平成28)年には国の重要文化財に指定された。


8620形8630号機 蒸気機関車

8620形は、旅客用として1914(大正3)年から687両製造された。当初は幹線の急行列車を中心に使用された。後継機が登場すると、地方へ転出して全国各地で活躍するようになり、「ハチロク」の愛称で親しまれ、1975(昭和50)年に最後の1量が廃車となるまで、長期に渡って活躍した。8630号機は東北地方で運用され、1972(昭和47)年に動態保存された。


C53形45号機 蒸気機関車

C53形は1928(昭和3)年に登場した幹線旅客用の蒸気機関車。外国ではすでに実用化されていた3気筒式を採用し、97両が製造された。97両が製造されたが、新機軸ということで設計上の問題と複雑な機構により保守が困難なため故障が頻発し、さらには戦時中の酷使と整備不足も重なっって、1950(昭和25)年までに全車が廃車となった。


C55形1号機 蒸気機関車

C55形は1935(昭和10)年に登場した亜幹線旅客用の蒸気機関車。C11形での技術を活かして電気溶接を多用し、蒸気溜めと砂箱を一体のカバーにするなど、シャープで近代的な外観となった。C57形の登場まで62両が製造され、四国を除く全国各地で1975(昭和50)年まで活躍した。


C11形64号機 蒸気機関車

C11形は支線や区間運転用として1932(昭和7)年に登場。C10形を基本に、重軸制限の厳しい地方線区にも使用できるよう、薄銅版と電気溶接を用いて軽量化を図ることによって、使用可能な線区が大幅に拡大した。またコンパクトで使いやすいため、1947(昭和22)年までに381両が製造された。西日本を中心に都市近郊やローカル線で旅客、貨物。入換用と多様に活躍し、現在も動態保存機としては最も多くの両数が各地で活躍している。


C57形1号機 蒸気機関車

C57形は1937(昭和12)年に登場した亜幹線旅客用の蒸気機関車。1947(昭和22)年までに201両が製造され、四国を除く全国各地で活躍し、「シゴナナ」または細身のボディーから「貴婦人」の愛称で親しまれた。1号機は東北本線や羽越本線などで活躍後、1972(昭和47)年からは当館の前身である梅小路蒸気機関車館で動態保存された。1979(昭和54)年には「SLやまぐち号」の牽引機となった。


C58形1号機 蒸気機関車

C58形ローカル線の旅客兼貨物用として1938(昭和13)年に登場した蒸気機関車。旅客用8620形・貨物用9600形と同等の性能を兼ね備え、汎用性も高く、1947(昭和22)年までに431量が製造された。主に千葉、和歌山、四国全域で活躍し、「シゴハチ」の愛称で親しまれた。


(1-10/49)    次の10件