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石炭山由来(いしずみやまゆらい)

三池石炭が室町時代中期に発見されたことを著した古文書です。安政6(1859)年6月、11代藩主立花種恭(たねゆき)の求めに応じて提出されたもので、石炭問屋、橋本屋富五郎の手元にあった控え文書が地元に保蔵されていました。ここには、文明元(1469)年、三池郡稲荷村の農夫伝治左衛門と申す夫婦が稲荷山の頂において焚火をしたら、かたい岩角がとろとろと燃え出したので持ち帰り、天運が開けたことをよろこんだことが記されています。これが三池における「燃える石」の発見と伝えられており、日本の炭田の発見の記録としては、最も古いとされています。

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焚石山鎮守社稲荷石祠(たきいしやまちんじゅしゃいなりせきし)

三池石炭の発見は、1459年に遡りますが、自由採炭の時代を経て、江戸中期には柳川藩と三池藩が組織的に石炭採掘を行うようになります。この石祠は三池藩11代藩主・立花種恭(たねゆき)により万延2(1861)年に再建されたもので、創祀は三池藩営の石炭採掘が開始された寛政初期頃であろうと思われます。燃える石を焚石と称したことは古文書にも見え、石炭のでる山を焚石山と呼び、ここに産業の神である稲荷を祀って鎮守としたものであろうと思われます。正方形の台座の上に本祠堂があり、堂の幅60cm、高さ68cm、深さ45cm、石材は凝灰岩。

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ロードヘッダー

先端部分(切削部)を回転させ、上下左右に動かしながら石炭層だけでなく、岩石層の中もトンネル状に掘り進む機械です。掘った石炭や岩石は掻き寄せ部で集め、後方の運搬設備に積み込みます。炭鉱だけでなく、道路や鉄道のトンネル掘進でも利用されています。展示機械は、昭和40年頃に石炭専用として試験的に導入されたものです。その後昭和43年に初号機が開発され、三池では閉山時(平成9年3月)まで活躍しました。切削部、掻き寄せ部、一次コンベア(チェーンコンベア)、二次コンベア(ベルトコンベア)、運転席、走行部で構成されています。 三井三池製作所製 MRH S45型 重量:約16.5t 平均切削能力:1tから2t/分

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ドラムカッター

ドラムカッターは、切羽で活躍する採炭の主役で、左右2個のドラムで石炭層を一度に切削する大型採炭機です。螺旋状のドラムが回転し石炭層にくい込んで、左右に動きながら切削します。切削した石炭は払コンベアに落とされ、払いコンベアが横に動きながら積み込んだ石炭を運び出します。展示機械は、昭和50年頃に導入されたものです。その後改良を繰り返し、昭和63年に導入された最新機種MHPは一日に1万tの石炭を掘り出すことが可能でした。三井三池製作所製 ダブルレンジングドラムカッター MCLE270-DR8292型 重量:21t 平均切削能力:約11t/分 ドラム径:1.5m

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自走枠(じそうわく)

ドラムカッター、払コンベアとともに、三池炭鉱の採炭切羽で使用された当時の最新採炭システムを構成する機械のひとつです。鋼鉄製の自走枠は、切羽に向かって約100台並べられ、水圧によって切羽の天井を支えるだけでなく、払いコンベアとその上にあるドラムカッターを炭壁側に押しつける働きをします。ドラムカッターの移動に応じて1台ずつ前進します。展示機械は昭和56年に導入されたもので、その後改良が繰り返され、昭和63年に採炭システムの最新機種MHPが導入されました。三井三池製作所製 MKSP-FSC40型 MIシールド枠 自走枠 最高高さ:3.5m 最低高さ:1.65m 重量:約15t/台

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