「青森県立三沢航空科学館」 に対する検索結果 : 9件
情報所有館 : 青森県立三沢航空科学館
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1931年、三沢・淋代海岸から離陸し、太平洋無着陸横断飛行に成功したミス・ビードル号の復元機です。ミス・ビードル号は、アメリカ・べランカ社製の単発5人乗りの旅客機の後部座席と機体底部を燃料タンクに改造して長距離飛行に備え、太平洋無着陸横断飛行に挑戦しました。約3,600L=ドラム缶18本分の燃料を積んだ機体は、約1,800m滑走して地上を離れました。また離陸後、飛行中の空気抵抗を減らして燃料の節約をはかるために、車輪を切りはなせる構造になっていました。約41時間後、ワシントン州ウェナッチバレーに胴体着陸して、太平洋無着陸横断飛行を成し遂げました。年代:2003年
航研機は、周回飛行距離の世界記録をめざして開発した飛行機です。五戸町出身の木村秀政らが、1937年(昭和12年)に完成させました。1938年昭和13年)5月13日午前4時55分、弘前市出身の藤田雄蔵少佐の操縦で、千葉県木更津飛行場を離陸。 千葉県銚子、群馬県太田、神奈川県平塚を結ぶ一周401.759kmのコースを29周して、周回航続距離世界記録11,651.011kmと、10,000kmコース速度世界記録186,197km/時の国際記録を樹立し、空時間62時間22分49秒で木更津飛行場に帰着しました。日本人が航空の分野で世界記録を樹立したのは初めてのことでした。年代:2003年
奈良原式2号機は、奈良原三次によって設計された飛行機で、1911年に高度約4m、距離約60mを飛び、国産機による初の飛行に成功しました。その実物大復元模型を展示しています。奈良原三次が開設した奈良原飛行団には、青森出身の白戸榮之助がいました。年代:2003年
白戸式旭号は、1915年に金木町出身の白戸榮之助が地方巡回飛行に使用した飛行機です。その実物大復元模型を展示しています。奈良原三次の門下生であった白戸榮之助は、日本初の民間人飛行士となり、弘前や八戸をはじめ東北地方中心に巡回飛行しました。年代:2003年
1957年(昭和32年)五戸町出身の木村秀政博士を技術委員長とした(財)輸送機設計研究協会が設立されました。1965年(昭和40年)初の国産実用機として国内線に就航し、1973年(昭和48年)まで、182機が生産されました。YS-11の名は、輸送の「Y」、設計の「S」、エンジンと翼の設計で、それぞれ1番目の案を採用したことから「11」(いちいち)と命名されました。展示されている機体(YS-11A-500型機・JA8776)は、1971年(昭和46年)5月に日本航空機製造株式会社(NAMC)で製造され、2002年(平成14年)11月18日まで日本エアコミューターで、12路線を運行していました。 年代:1971年
1903年12月17日、米国ノースカロライナ州・北部キテイホークのキル・デビル・ヒルで、ライト兄弟が人類初の動力飛行を成し遂げました。この機体は、2003年ライト兄弟の初飛行100周年を記念し、アメリカ・スミソニアン航空博物館から、その実機の設計図を取り寄せ、忠実に再現して飛行を行い、約30m程度の飛行した後にはハード・ランデイングをした復元機です。しかも、同時期に米国でも100周年を記念して、復元ライト・フライヤー号を飛行させようとしましたが失敗しました。従って、ライト・フライヤー号飛行後に、同じ条件で初めて飛行に成功した飛行機ということになります。年代:2003年
CHick-2000は、主翼にストレススキン構造を採用した画期的な超軽量・超高剛性・低必要パワーの女性用人力飛行機であり、主翼に採用したストレススキン構造は世界の人力飛行機で男女を問わず2機目にあたり、我が国では初めての飛行に成功しました。アスペクト比43:7の主翼は我が国一の高いアスペクト比を誇り、飛行に必要な最小必要パワー160Wは世界最小です。プロジェクトチーム アクティブギャルズによって制作されました。今回の機体CHick-2000は、「かがみはら航空宇宙博物館」に展示されているHYPER-CHick”KoToNoLimited”に続く2番機にあたります。(2008年8月展示開始)
CHick-URXは、日本紙飛行機協会が主催する 第16回ジャパンカップ2009年11月1日全日本紙飛行機選手権大会のジャンボ紙飛行機競技の規定に則り、設計・製作した紙飛行機です。主翼に緩い前進角、双胴、逆V字型で後退角付きの尾翼等で構成された独特のフォルムの機体です。材料は重心位置を調整するために機首に搭載された2Kgの鉛の錘以外は、全て紙(段ボールを含む)だけで製作されています。当部門で飛行に成功した数々の機体の中でも最大の翼長を誇っています。飛行は、”アクティブギャルズ”の7名のメンバーが20mの助走の後に手投げで出発し、追い風の中を見事に20.0mを滑空、優勝しました。
ウエストランド・シコルスキー式S-51型ヘリコプターJA7014「きたかみ」号は、1953年(昭和28年)10月に、東北電力がヘリコプターの利用に着目し、他の電力会社に先駆けて英国ウエストランド航空会社から輸入したヘリコプターです。東北電力は、電力の安定供給のためヘリコプターによる機動化を推進してきました。運航から13年後の1967年(昭和42年)総飛行時間2411時間38分をもって任務を終了し、現役を引退しました。日本におけるヘリコプター運航のさきがけともいえるシコルスキーS-51「きたかみ号」を航空史の変遷を物語るひとつのモニュメントとして展示しております。(2008年7月展示開始)
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